2022年6月17日金曜日

アフリカのしくじり国家

https://link.springer.com/referenceworkentry/10.1057/978-1-349-95121-5_3041-1
開発経済学やODAなどの国際支援は、その対象を国家としてきた。『アフリカ希望の大陸』では、これを見事に脱構築している。

アフリカの多くの国ではデモクレイジーと汚職が蔓延し、ガバナンスが悪いというのは常識である。この本では、そういう国家をしくじり国家と呼んでいる。たとえば、ソマリア。ソマリアの中で、旧英領のソマリランドは、カンジュ方式が成功した例で、氏族制度や、憲法に明記されたグルーティという信頼が厚い長老たちに権力を与えている。ソマリランドは、そんなこともあって、国際社会から未承認ではあるが、旧イタリア領のソマリアよりはるかに成功している。こちらの国際社会が承認するソマリアでは、1990年以降12もの暫定政府があったが、全部ソマリアの外、ケニアで作られた政府である。正当性や責任感ももっていないと言われる。

信頼のおける誠実な組織に慣れている観察者たちにしてみれば、このようなアフリカのしくじり国家の存在を受け入れるのが難しい事実である。しかし、アフリカにおいて、国家という枠組みは開発を妨げる要因になっている。政府に国民が期待するのは最低限のニーズに応えて動くか、せめて何らかのサービスを提供することだが、全く応えられていない。役職名さえあれば好き放題に略奪できるマフィアじみた市場である。

アフリカの政府はうんざりするほど非効率のままでで、タンザニアでは2011年まで国営の航空会社が何百人も従業員を抱えていたー飛行機は1機も持ってないのに。かえって1機もなくてよかったのかもしれない。空港当局は2012年になって、空港唯一のレーダー設備が2週間以上壊れたままだったことを認めたからだ。著者が『しくじり国家』(fail states)という語を使うのは、崩壊した公共サービスの提供システムを説明するためである。

そもそもアフリカの国家の国境線は、それほど重要ではなく、しばしば無視される。アフリカの全世帯の73%が母国の公用語を解さない(他の途上国では28%)のである。よって英語圏のガーナと仏語圏のコートジボワールの国境線は存在しないに等しいわけだ。実際村の真ん中に国境線が引かれており、住民たちはもう何十年も一緒に暮らし、商売をしている。

アフリカの国家の多くはその存在の正当性が極めて危うい。国家はジグソーパズルのように切り分けられた国境の内側に存在するため、国民は本質的に愛国精神に欠け、分裂しやすく、統治しにくい。よそ者が定義した政治構造なのである。

…本日の画像は、民族の分布に国境線をプラスした地図。いかに不条理であるかが一目瞭然である。

…前エントリーで述べたように、これは、開発経済学における国家という枠組みの不条理を指摘し、国家を見限ったエネルギッシュな人々の動きに光を当てた新しいテキストなのである。目からウロコである。

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