2010年7月2日金曜日

切れば血が出る氷の刃

 今日もすこぶる多忙であった。日本史Bでは、第一次長州征伐の裏側の話に熱が入ったし、倫理演習では大乗仏教の哲学/竜樹の中観、世親の唯識、馬鳴の如来蔵などを語った。これが案外生徒には面白いらしくいい授業だった。現代社会ではA・B組とも微妙に期末考査まで1時間だけ残ったので、エゴグラムという心理学の基礎講座をやった。両クラスともバカ受けだった。期末考査をとりあえず3教科分印刷した。放課後は、休んでいた生徒と約束していた補習、さらに質問に、どどっと生徒が来て、最後の仕上げはR大の論文大賞の添削となった。本校は、良いことも多いが、仕事の量も半端でないほど多い。(笑)

 エゴグラムのこと等はまたいずれ書くことにして、今日は朝一番のNHKニュースで見た話について書きたいと思う。それは、NYCの囲碁の話である。ヒロシマで被爆した方が、NYCに囲碁のセンターを作り、囲碁を広めながら、平和への想いを囲碁に託したのだという話だった。おそらく、ニュースに出ていた女性アナウンサーも囲碁をやったことがないのだろう。コメントに真実味がなかった。このブログを読んでいただいている方の多くも「何故、囲碁で平和?」と思われているに違いない。

 私は、前任校で進路指導部にいたことがある。昔はのどかなもので、放課後は暇があれば、囲碁を教えてもらっていた。多くの有段者の先生がおられて、初心者の私にも手とり足とり教えていただけた。結局ものにならなかったようで、あまり上手くない。(3月5日付ブログ参照)だが、このNYCの囲碁センターの話はよく理解できる。囲碁というのは、極めて簡潔に言ってしまうと陣取りのゲームである。黒白、どちらが囲った面積(目という単位になるが…)が広いかを競うのである。私の囲碁の師匠はI先生という機械科の先生であった。I先生は、碁盤を広く見て自分の陣地を少しだけ多めにするように指導された。全部自分のものにしようなどと考えてはいけない、と。
 さて、当時進路指導部に就職の書類が頻繁にくるようになると、毎年臨時のアルバイトみたいな形で、元理科の実習助手を定年退職されたいた”おじいちゃん先生”が来られた。達筆で、手書きで書類を作るのが仕事だった。私の囲碁の相手をよくしていただいた。おじいちゃん先生は、ぶつぶつ言いながら石を置いていく。その決め台詞が、「切れば血の出る氷の刃…!」であった。(笑)
 私が置いた石を”切る”のである。無理をして私の陣地を破る時の台詞である。囲碁で「死活」という言葉がある。私の陣地に攻撃を仕掛ける合図なのだ。結局私の陣地は守りが弱く、みんな死んでしまうことが多かった。実はI先生は、そういう囲碁がお嫌いだった。穏やかに、どうぞそこは差し上げますよ、でもここは私に下さいね。といった碁を打つのである。

 わかっていただけただろうか。囲碁は、そういうメンタルなゲームなのである。囲碁で平和を感じ取って欲しいというヒロシマの方の想いは、I先生の囲碁に通じるものがある。もちろん、プロの棋士などは厳しい「切れは血の出る氷の刃」で闘う。しかし言葉通り、”切れば必ず血がでる”のである。ある程度囲碁を楽しめるようになると、囲碁がメンタルなゲーム故に平和に通じる、という事は解るのである。囲碁で平和教育もいいなあと思った私だが、囲碁を指導するには下手くそすぎるようである。

追記1:明日は、東京の日本国際理解教育学会研究発表大会に出席します。おそらくブログの更新は出来ないように思います。ご了承下さい。
追記2:s.homaniさん、読者登録ありがとうございます。コメントもしてくださいね。(申し訳ない、今日気づきました。)

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