2015年6月24日水曜日

朝日 フランスの壮大な偽善

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フランスのリベラシオン紙のコラム「ピケティ・コラム」が今日の朝日新聞朝刊に掲載されていた。政教分離と不平等についてのコラムだ。なかなか示唆に富んでいたので、以下私なりの要約をエントリーしておきたい。

フランスはしばしば、宗教に関して平等で中立である国家モデルであるかのように振舞ってきたが、実際には問題は複雑である。国家は、ほかの分野でもそうだが、その国ならではの壮大なストーリーを描きがちで、それは集団としての運命に何らかの意味付けをするためには欠かせない。同時にそれは、偽善を覆い隠すことにもつながりがちである。

だから、フランスは宗教に関して「中立的で、寛容で、他の信仰に対して敬意を払う模範的な国である。」と世界に向けて示そうとする。「特定の宗教を優遇することはない。」「大統領が聖書に手を手に乗せて宣誓するのは我が国のことではない。」しかし、フランスでは宗教的あつれきの末、カトリック宗教学校が一斉に公営化された。またカトリックの宗教教育のために週1日学校を休日にした数少ない国のひとつである。(1882年~1972年までは木曜日、以降は水曜日。)この休日は、部分的に通常授業の日に戻されたばかりだ。

既存のカトリックの私立学校は多大な補助を受けているが、他の宗教の私立学校を新設するための条件は明らかにされていない。イスラムの学校の開校を求める動きの中で大きな緊張が起こっている。

政教分離とは、宗教をひとつの主張として、他の多様な主張と同様に、それ以上でもそれ以下でもないように扱うことではないか。信条と言っても良い。だから他の信条と同様に、それを風刺したり、馬鹿にしたりすることもできる。もちろん、一方で言葉や服装を通じてその信条を主張することもできる。

しかしながら、最もあきれるフランスの偽善は、イスラム系やイスラム教徒の若者が現在ひどい就職差別を受けている実態を認めようとしないことだ。パリ第1大学のマリーアンヌ・バルフォール氏による一連の研究はその実態を冷徹に示している。彼の調査方法は簡単だ。何千もの求人情報(中小企業の経理職などの典型的な求人)に対し、偽りの履歴書を送る。イスラム教徒と思える名前で、最高レベルの教育を受けたという経歴で、反応を調べる。返信の確率は絶望的であった。任意の大企業を対象にした研究成果よりもはるかに否定的であった。法的な手段で差別を封じ込める手段が最も一般的かもしれないが、自国の壮大なストーリーや周囲の事なかれ主義に惑わされて想像力を失ってはならない。

…フランスの宗教事情は、移民以外は、ほぼカトリック教徒であることは知っていた。しかし、宗教教育のための休日の話は、初めて知った。すごいな。私は、そもそもフランスが宗教的に寛容だとは思っていなかったので、このコラム、ちょっと意外だった。カトリックという語は「普遍」を意味する。そのフランク王国以来の中華意識と相まって、(トルコをイメージしたクロワッサンをつくるくらい)特にイスラムには排他的なのかもしれない。そんな感想をもった次第。

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