2015年6月4日木曜日

中田考氏最新刊より 「タキーヤ」

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allowed-to-dissimulate-lie-about
-islamic-beliefs-to-promote-islam.403494/
中田考氏の最新刊「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)をほぼ読み終えた。残るは田中真知氏のあとがきだけである。(あのアフリカ本の作家である田中氏と中田考氏がエジプトで旧知の仲であったとは大きな驚きだ。)さて、終わりの方に「タキーヤ」という語が出てくる。これは、「シーア派とスンナ(スンニ)派の共存は可能か」という興味深い話の中に出てくるアラビア語である。

中田氏は、この両者が教義上で和解することは非常に困難だと言う。互いにカーフィル(不信仰者)と見なしているからである。それでもなんとか共存してきたのは、シーア派が数の上でマイノリティであったし、勢力的にかなわなかったからである。しかし、イラン革命後、シーア派が力をつけ勢いが着実に増している。シリア内戦後はアサド政権がイランとレバノンのシーア派に軍事的に依存しており、さらにこれまでシーア派のコミュニティが存在しなかったエジプトやインドネシアでも存在を主張し始めて流血の争いが起こっている。

中田氏は、スンニ派内の伝統派と復古派(サラフィー主義)の対立を収め、マジョリティとしてシーア派を従属するカタチでしか平和はないと考えている。シーア派の中心的存在である十二イマーム派には、「タキーヤ」という教義がある。「危害が加えられるおそれがあるときに信仰を隠すこと」である。シーア派では初代イマーム、アリーの時代を除いて、常に為政者から迫害されてされてきた故である。スンニ派が一つにまとまれば、さすがにかなわないから、十二代目の隠れイマームが再臨するまで、教義的に正当なタキーヤを行ってもらうことで共存を図るというのが最も現実的な手立てだというわけだ。

スンニ派もシーア派も互いに相手が異端であるという教義は変えられない。しかしキリスト教ヨーロッパの宗教戦争のような殲滅戦を起こすことなく共存してきた。現在シリアやイラクで起きているような、いきなり相手を殺してしまうような状況は、近年の異常な状況であるというわけだ。

…なるほどと思う。シーア派の「タキーヤ」という教義があること自体が実に興味深い。妻が、今「隠れユダヤ教徒(マラーノ)」の本を読んでいて、少し聞いてみたのだが、ユダヤ教徒は、火炙りか改宗かを迫られ、自己の意思で新キリスト教徒になったらしい。シーア派の「タキーヤ」とはずいぶん違う。

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