2015年6月13日土曜日

隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン

昨夜は、前々任校でお世話にななったK先生の退職記念の会があって、遅くなった。なつかしい先生方が大勢集まり有意義な時間を過ごしたわけだ。K先生は当時若手だった我々の兄貴分という存在であり、よく怒られた。(笑)今は、私より後輩が校長、教頭、指導主事などに出世していたりして感無量である。だが、この会では当時のままの年功序列だったのが可笑しい。

さて、今日は今読んでいる本のエントリーを少し。妻が読んでいた本だ。「隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン」(小岸昭著/人文書院・2002年10月発行)である。妻は、長崎に行って以来、隠れキリシタンに興味があるようで、息子がアマゾンに注文し未読の本を見つけ読んだらしい。私自身は隠れキリシタンにはほとんど興味がない。しかしユダヤ人の話なら強い興味がある。

妻が、やたら「マラーノ」という言葉を発するようになった。マラーノとは豚という意味であるが、カトリックの弾圧を恐れてキリスト教に改宗したユダヤ教徒(新キリスト教徒)を意味するコトバである。

専門書なので、そう簡単には読み進めない。この本の冒頭にデリダのことが出てくる。デリダというのは、そのうちセンター試験・倫理に出ると私が確信しているフランスのポストモダンの哲学者である。彼もマラーノらしい。オランダの屋根裏の哲人・スピノザの話も出てくる。彼がユダヤ系であることは有名。

ところで、昨日はサウナ風呂のような教室で、大航海時代の話をしていたのだが、レコンキスタを終えたカトリックの新興国スペインとポルトガルで、海外進出に大いに貢献したユダヤ人やマラーノが異端審問で殺されている話が出てくる。かのザビエルが、本国にいた時代には異端審問に加わった証拠を著者は執拗に追っている。さらに画家のゴヤが、宮廷画家からリタイアした後、加害者の視点からこのマラーノに対する異端審問の絵をかなり描いていることもわかった。

なかなか濃い本なのである。今夜、東京・立川に旅立つ。体調は万全ではないし、残念ながらこの本は決して軽くないので、東京には連れて行かないつもりだ。

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