2010年6月10日木曜日

松下村塾という言霊


 今日は日本史Bで「尊王攘夷運動の系譜」をテーマに話していた。尊王攘夷運動自体は、下級武士たちの”市民革命的な”現状打破への渇望という潜在エネルギーが、水戸学の論理を中心に大流行したと見るのが私の立場である。もうひとつ大きな系譜がある。それは、関ヶ原以来反幕府・したがって親天皇であった長州の流れである。水戸学のようなロゴスを伴わないパトス的な長州の尊王思想は、吉田松陰によって「狂」という常識を脱した行動主義へと昇華されていく。その舞台は、かの松下村塾である。

 ところで…「松下村塾」という固有名詞には、まぎれもなく『言霊』が宿っていると私は思う。私は吉田松陰という人には、極めて稀な純粋無垢の魂を感じる。教師にとって、ある意味で非常に重要な資質かもしれない。人を引き付けるものは、ロゴスではなくパトスだと私は思う。吉田松陰のパトスは、そういう凄みをもっていると思うのである。彼の尊王攘夷は、そういった意味で、上記の下級武士たちの現状打破への野心とは一線を画している。だからこそ、大きな力を後世に残したのではないか。

 教師をしていて、こういう純粋なパトスを感じる教師に出会うことがある。一番わかりやすいのはクラブ指導に熱心に取り組んでいる教師群である。その純粋なパトスが、選手との強烈な繋がりを生む。私は運動が苦手だし、クラブ人間ではなかったので、こういう教師がうらやましい。

 しかし、私の中にも「松下村塾」の言霊、”純粋なパトスによる人育て”(とでも表現しておこうか)は厳然と存在する。それは「地球市民」を育てること。さらにその中から「国際協力に繋がる人材を輩出すること」である。

 <今日の画像は、南ア・プレトリアのバックバーカーズ(安宿)である。>この宿で、私は慶応大学の女子学生と出会った。彼女は、卒論のためエイズの調査をしにアフリカに来ていた。慶応大学という大学はやはり凄いのである。優秀な彼女のため旅費を全額補助していた。彼女は言う。「エイズをこの世界から失くすことが私のライフワークなのです。」と。ガーナ、ケニア、そして南アの保健省を周り資料集めをしていたのである。就職もドイツの医薬品メーカー(もちろんエイズ系の)に内定しているという。さらりと言ってのけた彼女に、私が育てたい「地球市民」を見たのである。帰国後、生活指導部長などという似合わないポストにあった私は、始業式で全校生徒に彼女の話をした。以来、機会があれば、彼女のような人材を輩出する努力を重ねてきた。これは全く”純粋なパトス”である。私の中の”吉田松陰”が、どんな労苦もいとわない姿勢を崩させない。JICAのセミナー、R大学高校生論文大賞、国際関係や政策科学系のAO入試、国際理解教育関係のセミナーや会合、学会発表への取り組み、そしてもちろん一期一会の授業や指導…やれることは全てやってきた。これらは、私にとって全く苦でない。

 私は本校の中に「松下村塾」をつくってきた。そして数多くの生徒を、尊王攘夷の志士ならぬ国際協力の志士に育てようとしてきた。私の高杉晋作や伊藤俊輔(博文)は必ず出てくる。あの慶応の女子学生のような人材が必ず出てくる。今はまだ学生であったり、その途上であるかもしれないが、必ず出てくる。これは確信であり、その確信こそが教師であることの至福である。

4 件のコメント:

  1. 最近は毎日4時半に起きて西宮の市場に行っています。
    そんなことする必要があるのかと言われればあまりないのですが。

    2か月ほど前、マザーハウスの副社長、山崎氏とお話しする機会に恵まれました。彼も慶応の総合政策卒で、2本の金融に関する論文を持ってGSに就職し、バリバリ働いたそうです。彼の話の中で、「金融を理解した」や「社会を変えた」などという話は出てきません。「3時に寝ようが、何時に寝ようが毎朝4時半に出勤したのが最も自信になった」と言っていました。

    社会貢献しようとする者のほとんどに共通するのは自らへの甘えです。まずは甘えを消すことから始めます。

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  2. 哲平さん、久しぶりです。いい話をありがとうございます。「社会貢献しようとする者のほとんどに共通するのは自らへの甘えです。まずは甘えを消すことから始めます。」難解な表現ですが、哲平さんの言いたいことを、うちの生徒たちにも考えさせてみたいと思います。

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  3. 先生の確信を、現実に!必ずします。

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  4.  ありがとう!りり~君を始め、全ての生徒諸君は、教師にとって「夢」であると私は思います。嬉しいねえ。

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