2010年6月11日金曜日

イベントは「人」づくりである


今日は本校の体育祭であった。本校は、グランドはあることはあるが猫の額のような面積であり、しかも他の同じ市立高校と共有なので、自前のグランドで体育祭を開催することができない。そこで場所を移して行うのである。今年は大阪市中央体育館であった。名前ほど大阪の中央にはない。港区の朝潮橋にある。<今日の画像参照。外から見ると緑に覆われた古墳のような建物である。>私の感覚から言うと、普段グランドがなく、体育も体育館ばっかりなので、体育祭ぐらい太陽のもとでやった方がいいと思うのだが、女子生徒や女性教員からは、紫外線の関係で、存外好評である。梅雨の時期でもあるし、運営上もそのほうがいいということらしい。

 今日、新校長が最後の挨拶でこう言っておられた。「はじめて、予行なしの体育祭を経験しました。」なるほど…。そういえば、普通は体育祭の前に、予行をやって行進練習や招集の確認をするものである。本校では、ちょっとだけ事前に体育館で生徒会や体育祭実行委員の方で行進の体形を確認するだけである。長年本校にいると、予行がないのが当たり前になっていて忘れていた。新校長は「予行せず、あれだけちゃんとやれるという本校の生徒に感動しました。」とのこと。そういえばそうだなあと思う。

 私が本校に赴任した初年度、私は『用具係』であった。障害物競争のバットやマットや網や、リレーの順位の旗やバトンやアンカーのタスキなどを用意し、会場に運び、当日は設置する係である。体育祭の実行委員会で用具係になった生徒を集め、初顔合わせをした時のことである。3年生の生徒が私のもとに来て、自己紹介をし、「私がキャップです。進めさせてもらっていいですか?」と言ってきた。私が了承すると、彼女はテキパキと全員を指名し、自己紹介させた。次に、進行係から事前に入手していた競技種目をメンバーに割り当てていく。私が驚いたのは、その時すでに彼女が全員の名前を覚え、ニックネームで呼びながら決めていたことである。本当に驚いた。すごい指導力である。

 当日も彼女に好きなようにやらせた。適当にアドバイスをしながら、しんどい仕事だけ手を出した。やがて体育祭が終わり、トラックに荷物を積み、学校に戻ると、用具係全員が校門で我々を笑顔で出迎えてくれた。3年生からテキパキと指示が出され、用具が元の位置に運ばれていった。凄い学校に来れたもんだ…。私はそう思った。

 あれから9年。あんな凄い3年生はもういないかもしれないが、生徒の心根はそう変化していないと思う。それが伝統なのであろう。マイノリティである男子の「野郎会」も、今年も期待を裏切らない素晴らしい演技を見せてくれた。本校のA~D組で縦割りに構成される”団”のアピール、要するにダンス・パフォーマンスなのだが、これも素晴らしい出来であった。これらは、全く生徒の自治能力で創造されている。これはかなりのイベント運営能力を要求されるものである。これらが、きっちりと成立していることが嬉しい。

 ずいぶんと教員も退職したり転勤したりして変わった。生徒の能力を最大限引き出すこと、自由に責任を持たせてやることが特別教育活動(業界用語で、生徒会の自治やクラブ活動、行事などを意味する)の重要なポイントであるという私の信念は変わらない。イベントは「人づくり」なのである。生徒が成長すればいいのだ。結果はあとから付いてくるのである。形だけ整っても、イベントで教員の指導が入りすぎると「人」は育たない。最近様々な面で、徐々にそうなってきているのでは、と危惧するのである。

2 件のコメント:

  1. 体育祭の場所変わったんですね。
    私のときは、長居競技場で暑い暑いといいながら、
    競技を観戦していたものでした。
    各クラスのダンスが苦手で、練習がちょっと辛かったことも、
    3年の女子のダンスで、S先生が考えてくださったダンスがちょっと恥ずかしかったのも、とてもいい思い出です。
    基本的に運動が苦手な私ですが、高校の体育祭はいい思い出が多かったような気がします。

    それにしても、用具係のその方の統率力と、体育祭にかける意気込みが素晴らしいです。
    きっと今は、社会でそういう風に統率していくリーダー的な存在として活躍されているんじゃないかなって思いました。
    私もそんな頼られる人間になりたいです。

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  2. 長居球技場は暑かったよねー。みんな真っ赤になった。今年の3年の団体演技もよかった。Yukimi君の頃から本格的にやりだしたんじゃないかな。だんだん芸術性が増している感じがする。

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