2015年10月10日土曜日

日経 経済教室 EUとギリシア

プラトン
http://www.karakusam
on.com/platon.html
昨朝の日経の経済教室は、東大の特任教授・村田菜々子氏の「試練続く欧州(下)難民対応、国境浮き彫りに」と題してのものだった。なかなか示唆に富む内容だったのでエントリーしておきたい。

今年のギリシア観光客は、例年1位のドイツ人が、デモで悪玉にされたのを嫌ったようで、イギリス人が第1位らしい。イギリスは、ギリシア独立戦争の時、詩人バイロンが身を投じた。そのひそみに倣うように観光でギリシアを救おうとしているように見える。ギリシア近現代史を理解する鍵は、欧州の助力なしには存立しえなかったという事実である。裏を返せば、ギリシアは欧州にとって見捨てることができなかった国であるといえる。欧州文明の源であり、オスマン帝国に暮らすキリスト教徒であり、救うべき存在だったわけだ。WWⅡ後、政府軍と共産軍の内戦となり、チャーチルやトルーマンは政府軍を支援、西側陣営に属した。1981年、経済発展が不十分だったギリシアはポルトガルやスペインに先駆けてEC(欧州共同体)に加盟した。ジスカールデスタンは「プラトンの前にドアが閉ざされることはない。」と語り、加盟に賛成をしたという。

…「叩けよ、さらば開かれん。」というのはプラトンの言葉とされる有名なコトバだが、新約聖書にあるらしい。

このギリシアの加盟は、70年代半ばの特に南欧の共産主義勢力(ユーロコミュニズム)の台頭の中、ECが経済だけでなく、政治面(民主主義を基盤とする方向性)での結束を図る必要性に迫られていたことと関係する。ギリシアを加盟させることで、ECの政治的アイデンテティを表明したのだ、という。「プラトン」は民主主義という政治理念を手土産にECに加盟したわけだ。

先のギリシアの財政危機については、欧州の精神的故郷という思いが表明されることはまれであった。欧州が救くおうとしたのは、ギリシアではなくユーロという通貨であり、EUという組織である。ユーロはEU統合のシンボルである。経済への配慮より政治的思惑が先行している。

ユーロ導入にあたり、発展の度合いの異なる加盟国がいかに経済成長をもたらすのか、金融危機発生時にどう対処するのか、さほど深い議論なしに導入された。ユーロ圏内の財政規律は、現在ほとんど守られていない。政府債務残高60%以内でなければならないが、平均92%である。ギリシアは177%と突出しているが、ドイツでさえ75%である。ユーロが、政治統合のシンボルであることの証左である。

EU統合の理念は、もうひとつ域内のヒトとモノの移動の自由がある。この理念が今年になって急増した難民の波に揺さぶられている。EUには、ダブリン協定(難民は最初に足を踏み入れた加盟国で難民申請し、その責任を負う。)がある。ギリシアは、今年9月までの海路で到着した難民52万人中39万人が上陸している。ギリシアには、1920年代にトルコとの住民交換で110万人の難民を受け入れた歴史がある。この記憶が反映しているのか、経済危機にあるギリシアに留まる心配はないと計算しているのか。9月22日の会議でEUは12万人の難民受け入れ数の配分を発表した。東欧諸国の反発の中、ギリシアとイタリアには割り当てはなかった。

国ごとの難民割り当ては、失くなった国境が再び現れようとしていることを意味しないか。

ギリシアの財政危機には「欧州の連帯と責任」が語られることはなく、難民問題には繰り返し語られている。これは、EUの硬直化を表しているのではないか。

…この小論、実に面白い。ユーロ導入に際しての詳細な金融シミュレーションがされず、導入したという事実が凄いし、現在のギリシア金融危機と難民配分問題は、EUの統合の現実の二側面を表しているという視点。授業に活かしたいところ。うーん、3学期の最終授業くらいにになるなあ。

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