2018年12月8日土曜日

鄭和の大艦隊 記録焼失の話

11月30日付の『物流の世界史を読む。(2)』で、明の大艦隊が遠征し、一時期中国が海洋進出した話を少しエントリーした。有名な鄭和の大艦隊である。今、読んでいる「米中論」(田中宇著:光文社新書/2002年6月、これも日本人会の無人古書コーナーでRM1で手に入れた本だ。)に、関連の面白い内容があったので、今日はこのことをエントリーしておきたい。

世界一周というとマゼラン(というより、彼は途中死んでいるので、その部下)だが、英の元海軍将校の調査によると、鄭和の艦隊の一部が、新大陸はおろか、オーストラリアや南極にいたる地点に達していたらしい。(残存する航海記録に、彼らが使っていた六分儀で割り出していた位置を確認したとのこと。)この鄭和の大艦隊の、造船技術や航海術はるかにヨーロッパより進んでいたらしい。膨大な航海記録ならびに訪問地の記録があったはずだが、それらはほとんど失われ、遠征の100年後には中国は鎖国同然になる。

この歴史の謎には、儒家と宦官の権力闘争があったらしいのだ。鄭和は、色目人(元朝で漢人の上位にたったペルシャ・トルコ系のムスリム)の宦官であった。永楽帝は、宦官の支持を得て皇帝になっている。鄭和は、その宦官のトップであったらしい。海外進出は、宦官の勢力拡大に繋がっていた。これに対抗したのが、内政重視派の儒家で、永楽帝の死後、勢力を盛り返す。儒家は、宮廷の保管庫にあった膨大な10度にわたる鄭和の大艦隊の記録や文物に放火するという謀略を行ったという。というわけで、記録はほとんど消失したし、中国は海外進出を取りやめ、内政重視・朝貢貿易の再開に向かうわけだ。

…歴史は面白い。私は長い間社会科の教師をやっているわけだが、世界史は専門ではないので、このような初歩的な(?)事実でさえ、面白いと思う。へー、なるほど、こう繋がるのか、という発見こそ知の喜びである。いつまで経っても、知の喜びを追い求めたいものだ。今大学で学んでいる教え子諸君にも、そういう知の喜びを伝えたいと思う。

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