2010年8月7日土曜日

マグナム44と抵抗権


昔、世界の殺人首都と呼ばれたデトロイト。<本日の画像はミシガン州・デトロイトのダウンタウン。>そこで私は銃を撃った経験がある。 今日の倫理補習で、そんな”滑らない話”をした。
今日の予定は、ルネサンスから近世・近代の西洋哲学史である。またまた4コマ・6時間。ベーコン・デカルトからヘーゲルまで。(5月8日付の長ーいブログで、内容については記しているので今日は割愛。)それにプラスして、社会契約論のホッブズ・ロック・ルソーと功利主義のベンサムとJ.S.ミルをやった。銃の話は、最後の1コマ、ロックの説明の時にで登場する。ロックは、ホッブズのように自然状態を『万人の万人に対する戦い』といった北斗の拳と捉えていない。むしろ、理性的で平和な状態だという。ただし、自由や権力を国家に預けていることは同じである。で、ロックは言う。もし、自らの自然権を侵されるようなことがあれば、国民は、抵抗し、あるいは革命を起こす権利がある。

昔々…デトロイトにサムさんという在日経験20年のおっさんがいました。彼は銃が大好きで、現地ガイドをしながらも時々銃を撃っています。そこに日本からのゲストがやってきました。彼らは銃を撃ってみたいと言う。サムさんは急いで手配しました。ダウンタウンの銃刀店の地下の射撃場です。リボルバーとオートマチック、そしてマグナム44が用意されました。暴発して死んでもOKという書類にサインし、ゴーグルと防音のためのヘッドフォンをつけて、さあ射撃です。元気いっぱいのおっちゃんがマグナム44を手にとりました。そしておもむろにトリガーを引くと…。なんと眼前が真っ赤になったのです。ダーティ・ハリーではそんなシーンはありませんが、現実には火薬の爆発の威力は凄いものでした。私もたいがい驚きました。マグナム44を私は撃つのをやめ、普通のリボルバーにしました。案外射撃の才能があることを知りました。のび太君くらいはうまいみたいです。
さてさて、帰りのバンの中、あるご婦人が質問しました。「なあ、サムさん。アメリカは銃が多いやろ。そのおかげで犯罪も多いやんかあ。なんで銃が自由なん?」さて、その返答やいかに?

生徒諸君の答えは、「自分の身を守るため」というのが圧倒的に多い。想定内である。私もそう思っていた。しかし、サムさんの答えはこうだった。「もし、州政府や連邦政府が、私の自由を侵害しようとしたときに、銃がなければ戦えないじゃないですか。」というものだった。凄い。…抵抗権。私はその時、鳥肌が立った。アメリカ人は、自分の自由を銃で勝ち取った。その権利を一部州や連邦政府に委任している。しかし一度その自由を侵されたら、立ちあがる気慨を持っているのである。アメリカ人にとって、自由というのは勝ち取るものであって、与えられるものではない。

ホントは、さらに日本人の甘い自由観について語りたかったが、さすがに4コマ目。疲れた。また機会があれば話すつもりである。さて、こうしてみれば、ロックの抵抗権…十分わかりやすいと思うのだが…。

2 件のコメント:

  1. はじめまして!ESDの検索をしていましたら、こちらのブログに辿り着きました。国際理解教育に興味がありますので、とても充実した内容のブログの記事に感激を覚えながら読ませて頂いております。
    この、抵抗権についての考え方・・・すごく胸に響きますね!もうちょっと古いですが、マイケル・ムーア監督のボウリング・フォー・コロンバインの内容をふと思い出しました。それでも定期的に銃の乱射事件が起こるアメリカには、アメリカなりの問題があるんでしょうね。

    同じ社会科教員として、今後とも宜しくお願い致します。

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  2. YuMaさん、コメントありがとうございます。またいろいろとESDへの取り組みや意見をいただけたら幸いです。よかったら読者登録お願いします。

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