2010年8月3日火曜日

春一番に誘われモスクを想う


 今年は倫理の補習を土曜日に集中講義でやっているので、今日はその振替休日であった。こういう日は例によってH鍼灸院に行く。愛車のMDは、久しぶりに西岡恭造であった。『春一番』…。妻のお気に入りの曲であり、昨夏はこのMDを良く聞いた。この曲を聞いていて、ああ1年前はブルキナファソにいたんだと、ちょっと感傷的になった。サヘルへの旅。この曲が私の脳裏でずっとかかっていた。
 と、いうわけで今日のブログは、ブルキナのBANIという村の、モスクについて書きたい。ブルキナに行く前、私は「世界遺産の中で、どこに行きたいか?」と問われれば、「マリのジュンネのモスク」と即座に答えてきた。日干しレンガと泥で補修された西アフリカ独特のモスクである。ところが、一回り小さいかもしれないが、ブルキナにもよく似たモスクがあったのである。全く期待していなかったのでムチャ感激した。
 ストロングな太陽の下(もと)、人気(ひとけ)のないモスクを案内してもらった。(同行メンバーは4月14日付ブログ参照。)素晴らしいモスクだった。以下私の紀行文「ブルキナファソ留魂録」からの引用。
 
 車を降りた瞬間、うぉっー!という感じの暑さだった。日本の太陽とは別物の真っ赤な太陽である。美空ひばりが、もしこの砂漠の太陽の下なら、『恋の季節なの~』などと気楽に歌えないだろうと私は思った。(ギャグがかなり古くて生徒には使えそうもない。)これが、砂漠の太陽である。
砂地をサンダルで進む。干乾びた村の壁は、日干し煉瓦。触ってみる。書物上の知識では判らない。実感が大切だ。まさに「百聞は一見に如かず」である。モスクは、素晴らしいものだった。村のモスクだとは到底思えない。ミナレットの高さは、40mもあるという。村のガイド氏が、モスクの中に異教徒である私を誘ってくれる。もちろん、素足が基本だが、サンダルを脱いで、靴下はそのままでいいとのこと。モスク内は砂地だった。思い出したように開いている窓の光だけが、モスク内の明かりである。灼熱の外に対して中は思いのほか涼しい。ガイド氏は、ミフラーブの撮影も許可してくれた。その後、真っ暗な階段室を上り、屋上に連れ出してくれた。真っ青な空。土色のモスク。そして砂漠の太陽。ガイド氏とオマーンの通訳によると、このモスク はいくつもの棟やミナレットがあり、上空から見ると、祈りの形になっているのだという。キブラの方向を見ると、なるほど右手・左手というふうに別のミナレットが遠望できるのである。なかなかのものである。さすがジュンネのモスクには、大きさではおよばないが、どうしてどうして立派なアフリカン・モスクである。

 遠望のできる岩山からの帰路、あることに気がついた。このモスクの「礼拝用個人絨毯」は、なんと羊やヤギの皮だったのである。…砂地に家畜の皮を轢いて礼拝するのである。最後に一つだけ質問した。
「女性の席はどこか?」天井はむちゃくちゃ高いこのモスクだが、作りは平屋である。私が生徒をよく連れて行く神戸のモスクは2階席が女性用となっている。それで聞いたのだが、「後ろの3列までが、女性用だ。」というのが回答だった。なるほど左右に分かれて礼拝するのではなく、前後に分けるのか。案外、想定内の回答であった。(女性蔑視であると即断するのは、異文化理解を妨げるのである。)車に乗り込むとき、何かおかしい。さっき岩山に上った時、サンダルの足首に固定するところが切れてしまったのだ。歩くのに支障はないが、ナイロビの想いがつまったサンダルである。なんと、モスクの視察で、「諸行無常・諸法無我」を感じることとなったのであった。

 壊れたサンダルは、2月15日付ブログ”ナイロビの水虫”で、靴が履けなくなった私がナイロビのBataで買ったものである。以来、海外に出る時愛用していた。<今日の画像は当然BANI村のモスク/CanonEFで撮影したものである。>嗚呼。アフリカ…行きたいなあ。

0 件のコメント:

コメントを投稿