2023年8月6日日曜日

ヒロシマの日に緑十字機の話

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昨夜、妻がYou Tubeに面白いドキュメンタリーがあると教えてくれた。終戦記念日は1945年8月15日だが、前日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定、玉音放送があった日である。ただし、これは全世界に受諾を宣言しただけであって、正式な終戦は、ミズーリの艦上で行われた降伏文書への調印の日、9月2日である。実際問題として、連合国と正式な降伏文書等のやりとりを行う必要があったわけだ。実際問題として、ソ連は侵攻を止めず、千島列島を占拠し、留萌と釧路を結ぶ線で区切られた北北海道を占領するつもりであったし、アメリカも第三・第四の原爆投下を予定していた。日本は、すぐにでも正式に武装解除を行い、無抵抗を示す必要があった。早くしないと北海道が失われてしまう危機にあったわけだ。

8月15日は「日本のいちばん長い日」として、陸軍青年将校のクーデター未遂事件が有名だが、海軍でも厚木航空隊が、武装解除に反旗を翻した。この厚木こそ、米軍先見隊、マッカーサーを向かい入れる超重要地であった。(この対処は海軍軍人でもあった高松宮殿下が説得に向かい、必要とあれば直接天皇と謁見させてもよいと言われたそうで、302海軍航空隊を説得。解任された司令官は納得せぬままマラリアで行動不能となり、海軍病院に連れて行かれた。)

マッカーサーより、機体を白く塗装し、緑の十字をつけた機体(緑十字機)で沖縄・伊江島まで代表団を輸送し、正式な降伏についての調整をフィリピンで行うとの命令が来た。この緑十字機の飛行は、まさに苦難の連続で時間との戦いであった。厚木が反旗を翻しているので、木更津から出発し、迂回せざるを得なかったし、1番機は故障していたが、最優秀の機長ゆえなんとか着陸できた。ここから一行は米軍機でマニアに向かう。決死の覚悟で臨んだ一行だったが、無事伊江島に帰還。急ぎ夜間飛行で木更津に向け飛び立った。しかし燃料が足りずエンジンが停止し、静岡の鮫島海岸に不時着。これもほぼ満月の月明かりと機長の力量によるものである。その後近隣の協力と浜松陸軍飛行場より、東京・調布に無事到着した。

まさに苦難の連続であった。このYou Tubeは素晴らしい出来である。

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ちなみに、この日本の降伏文書のレプリカを、昔ヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館で購入した。こういうレプリカが販売されていることが、不思議でもあり、腹立たしくもあり、複雑だったが教材として購入したことを覚えている。

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