2012年4月30日月曜日

関越道のバス事故に想う

昔バイトしていたA交通バス
このGWは近隣校で行われたラグビーの試合を見に行ったくらいで、ひたすら養生していた。そんな中最も気になったのは、関越道で起こったバスツアーの悲惨な事故についてである。

先日の京都亀岡の事故が、知育によって得るはずのきちっとシミュレーション能力を持たない男が、自己の欲望のままに無免許で一晩運転していねむりを起こしたという犯罪性の高い許せない事故であるのに対して、ある意味全く異なると思うのだ。

今回のバス事故。構造改革による価格優先、競争優先の犠牲だと直感した。バスの運転手さんもこき使われている。昔々、大学1回生の頃、A交通という観光バスのバイトをしていた。運転手さんもいろいろだったが、自分の腕に「命」を預かっているという自負というかプライドがあった。時々、クライアントからご祝儀が出た。運転手さん9、バイトの私1という割合だった。もちろん少ないなどと私は思わなかった。クライアントに直接接し、気持ちよく乗ってもらうのは私の役目。全ての責任は運転手が負うという矜持から、直接クライアントに話しかけたりしない。そういう世界だったのだ。

それが、最近はなにからなにまで運転手だ。荷物の出し入れ、挨拶、気遣い。経費削減とはいえ、運転手さんの矜持もくそもない。

私たちが運転手に求めているのは、安全走行と時間どうりの走行であって、サービスの良さではない。価格競争の「安かろう、悪かろう」が、最も顕著に出てしまった気がするのだ。

お亡くなりになった方々のご冥福と怪我をされた方々のご回復を祈ると共に、責任ある運転手への無慈悲な批判だけは勘弁してあげてほしいと私などは思うのだ。

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