2019年4月1日月曜日

一時帰国/オマール氏の墓へ

戦時中マレーシアから、南方特別留学生として来日したラザク先生(ご子息はPBTの最高顧問で、私費生に奨学金を出して頂いたりして、大変お世話になっている。)の友人で、原爆症で京都で他界したサイド・オマール氏のお墓にまいることが、今回の一時帰国の目的の1つだった。ちょうど息子夫婦のカフェがようやく開店したので、彼らの都合に合わせて、3月25日の月曜日に京都に向かった。

オマール氏のお墓は、叡電一乗寺駅から東山に向かう圓光寺という禅寺にある。途中、宮本武蔵ゆかりの地があったりして、なかなか趣のある所だ。なぜこの寺にあるかというと、遠くマラヤから留学に来て被爆した彼の死を悼んだ篤志家によってここに移されたからである。
宇高雄志氏の「南方特別留学生ラザクの戦後」によると、終戦後ラザク先生らは京都の国際学友会に身を寄せていたが、体調を崩したオマール氏は8月30日京大病院で賢明な治療を受けたが死亡した。神戸モスクの関係者も立ち会って、南禅寺にあった市営墓地に埋葬された、とある。その後、この圓光寺に移されたわけだ。
墓の前には武者小路実篤の碑文がある。『オマール君 君はマレーからはるばる日本の廣島に勉強しに来てくれた それなのに君を迎えたのは原爆だった 嗚呼實に實に残念である 君は君の事を忘れない日本人あることを記憶していただきたい 武者小路実篤』
墓はイスラム様式。横向きになった氏の顔の方向は西ではあるが、キブラではなさそうだった。そんなことが気になったが、整然と並んだ日本の墓地故に仕方のないことだったのだろうと思われる。

…合掌。ともあれ、オマール氏の墓の存在を知って以来の念願がかなった。そんな私を京都の早咲きの桜が迎えてくれたのだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿