2019年4月27日土曜日

「ホッブズ問題」・「ルソー問題」

https://www.youtube.com/watch?v=x_K8kuzlu10&app=desktop
「社会学史」(大澤真幸著/講談社現代新書)の備忘録をぼちぼちエントリーしようと思う。とりあえずは、ホッブズ・ロック・ルソーの社会契約論三人衆について。(彼らの思想の詳細については省略。)パーソンズは社会学に於ける「社会秩序はいかにして可能か」という問題を「ホッブズ問題」と名付けた。ホッブズは、功利主義的人間観の純粋なカタチであるが、極めて無神論的なスタンスであるといえる。それに対して、ロックの抵抗権は、神がバックアップしてくれるという前提にたっている。したがって、ホッブズの方が、論理的には首尾一貫性があると、著者はゲーム理論をだして論証している。
また、ホッブズの理論を突き詰めていくと、法(秩序のある状態)とは、普遍化された犯罪である(法の中に犯罪が内在している)ということになる。後世、ベンヤミンという社会学者がこのことを言っているのだが、ホッブズ問題は、現代の社会学理論につながる伏線となっているようだ。

ルソーもまた、社会学史から見ると大きな存在である。ルソーの一般意志は、全体意志(多数決)とどう違うのか?たとえば、日本に原発が必要か?について国民投票するとして、自分は電力会社に勤めているから自分の利益に繋がる、あるいは原発のお陰で自治体に金が下りていて自分の利害に繋がるというような私的利害と独立したところで、投票しなければならない。その上で、一般意志は成り立つ。後世のロールズは「無知のベール」と呼ぶ。私的利害からの無知の必要性を説いているわけだ。
ルソー的な感覚がある、と著者は言う。スタロバンスキーという人のルソー論に「透明と傷害」というのがあって、要するに、ルソーは透明かつ直接的なのである。逆に言うと不透明なであったり間接的であったりするコミュニケーションは嘘が入り込む、よくないというのがルソーの直感である。ルソーの理想的な自然状態は、透明な共同体で、「社会秩序はいかにして可能か」という命題がそもそも成立しない。これは、後世のカッシーラーが「ルソー問題」と読んだ問題でもある。これで、ルソーはももすごくリベラルだとも解釈できるし、同時に全体主義を正当化しているともとれるという解釈上の大問題である。

…なるほど。高校の倫理や政経で教える基本的な知識としての社会契約説の話とは、かなり違う深い内容で、私は実に面白かった。社会学の徒・L君やH君はどうかな?

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