2019年4月2日火曜日

内田樹 「憲法について」

内田樹先生の『憲法について』という講演録が面白い。かなり長いので今回は要約はしない。憲法について、私のスタンスは護憲派でも改憲派でもない。元公立高校社会科教師としては、至極当然ながら、極めて中途半端なのであるが、内田先生の言わんとされていることがよくわかる。先日エントリーした敗戦比較論とも共通した視点である。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

護憲派の人々は、戦中派だったり戦後の混乱を知っている人々が多い。当然左翼思想も強かった。私が教職に就いたのは1980年である。当時の教職員組合は今よりはるかに強かった。大阪市立の高等学校の組合は、代々木が握っていて、社会党系の解放同盟とは対立関係にあった。私は、政治的には社共どちらの支持者でもなかったが、新任の頃は正直なところドグマチックなスターリニズムの被害を受けた経験もある。で、転勤した工業高校では、組合から抜けさせてもらった。ちょうど当時の組合長のS先生が、この工業高校出身の中学時代の親友Tの担任であることがわかり、私も大いに可愛がっていただけたからだ。当時としては、”非組”になるというのはかなりの覚悟が必要で、実にラッキーであった。先日帰国時に会ったU先生などには、超極秘事項であった。S先生から若い先生には内緒やでと重々口止めされていたのである。

何をいいたいのかというと、護憲派の左派の世代との格差である。私などは紛無派(70年頃の学園紛争を経験していない世代)で、シラケ世代の初期にあたる。新人類の前の世代である。「戦争を知らない子どもたち」というジローズの歌(あまり好きではないけれど)がYoung Oh!Oh!というTV番組ののせいで染みついていると同時に、井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「晩餐」も染みついているスキマ世代といってもいいかもしれない。後輩のU先生などは、さらにその後ろの世代で左翼の洗礼を受けていないのだ。結局のところ、内田先生のこの講演を理解するには、こういうバックボーンがないと”わかりにくいんやよなあ”と言いたいのである。

F40Aの社会科学系の学生諸君には、かなりハードルは高いけれど読んでみて欲しいところだ。今日、いよいよラストランナーのJ君がE君の待つ日本へ旅立った。

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