2019年4月25日木曜日

PBTの話(24) 日本近代史

Eクラスは、今日で日本近代史が終わった。Dクラスも明日終わる予定だ。面白いのは、国費生がかなり日本史に興味をもっていたことである。日本史の超概説で、天皇制が続いている事、平安時代くらいから天皇は「権力」から「権威」へと移行することなどを教えた。織田信長や、豊臣秀吉、徳川家康なども、天皇の権威で統一をはかろうとした事。源氏は清和天皇、平氏は桓武天皇と、天皇の嫡子から派生したことを述べたりした。ドラえもんのしずかちゃんは源氏の末裔であることなどがウケた。(笑)征夷大将軍の意味などを教えて授業が終わったら、「織田信長はなぜ一向一揆を弾圧したのでしょうか?」という質問がきた。おお。なかなかディープな質問である。意外に、日本史に詳しい。ちょっと驚きである。「篤姫のことをもっと教えて下さい。」といった質問もあった。嬉しい悲鳴だ。

総合科目のシラバスは、基本的に近代史なのだが、私の授業の大きなテーマは、なぜ日本は植民地にならなかったか?である。幕末の状況をまず語る。マレー系の学生なので、江戸幕府・徳川将軍家をマラッカ王国に喩え、スルタンの小国林立を藩に喩えた。これは分かりやすいらしい。しかも日本は資本主義がガラパゴス的に発達していたし、教育程度が高く、識字率も高かったことを述べた。さらに生麦事件など武士の強さ、教養、武士道などを教えておく。薩英戦争でイギリスと雄藩が繋がることも教えておいた。戊辰戦争の戊辰の十二支の意味も、マレー系は中華系と共生しているので理解できる。(笑)武士道の話は、山岡鉄舟の駿府行き、あるいは明治天皇の教育係として、最後に死に様などで理解を深める。意外に、ワンピースのゾロの話(船長のルフィを護って痛みをクマから受ける話)が武士道の理解を深めたようだ。あの手この手で説明しているわけだ。

これらの話が、後に繋がる。武士道を翻訳した新渡戸稲造のファンだったセオドア・ルーズベルトが、日露戦争の仲介に動くし、日本海大海戦で東郷の足下が靴のカタチに乾いていた話、そのロシアに勝った東郷がトルコで人気であること。これはクリミア戦争に結びつく。戊辰戦争も、人気優先・勝つ戦争にしか参加しなかったナポレオン三世の治世であったことが英仏の対立にまで及ばなかったことなど、これまでの学習と様々に結びついていく。こういうことを国費生に気づかせたいと思っている。

不平等条約で関税自主権がなかったことは、自由貿易・保護貿易でも総括する。トップに君臨したイギリスは、アダム=スミスとリカードが自由貿易の理論でリードしたのは当然。フランスは、一時保護貿易に走り、工業化を図る。ナポレオン戦争後の大陸封鎖論である。ドイツもビスマルクの保護貿易政策で工業化を図る。アメリカは、米英戦争で図らずも保護貿易化し、商工業地域の北部が勝利する。日本は、最初から自由貿易化、すなわち工業化しにくい状況におかれたわけだ。

不平等条約の改正のため、岩倉使節団が欧米に向かい、近代国家論を認識して帰ってくる。この民主主義、資本主義、国民国家=国民皆兵のビンゴが日本の目標と成るわけだが、イギリスやフランスと違い、国身国家化から始めるわけだ。しかし、大日本帝国憲法と帝国議会の開設でビンゴしたのに、不平等条約(内実的な植民地化)は改正してもらえなかった。結局、日清戦争、日露戦争で勝利して、列強の一員になる。まさにサバイバルゲームであったわけだが、その後は自信過剰に陥っていくわけだ。同じアジア人として、この日本の歴史をどう思うか?と尋ねた。マレー系の学生は、WWⅡでイギリスを打ち破ったことに好意的である。まあ、この先は以後の世界史をやってからかなと思う。

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