2018年11月4日日曜日

ブミプトラ政策の20年を読む

「マレーシアの社会再編と種族問題ーブミプトラ政策20年の帰結ー」(堀井健三編/アジア経済研究所・1989年)を読んでいる。本書は、8つの研究論文からなっている。

…2年半、マレーシアで社会科学を教えていて、意外な発見をすることがある。EJUのシラバスには、日本の政治分野が含まれており、憲法や政治機構などを教えるのだが、マレーシアも議院内閣制なので対比して教えることも多い。しかし、その相違に戸惑う場面もあった。最も大きな相違は、言論の自由の問題である。日本では、人権上、公共の福祉として制限されるのが妥当だと思われるヘイトスピーチへの規制はあると思うが、原則的に自由である。マレーシアでは、いくつかの問題に関して、公共の場で討議することに制限が加えられている。また、レファレンダム(住民投票)というような概念はないようだ。本書は、このことに少し解答を与えてくれた。

第1章の堀井論文には、ブミプトラ政策の歴史的政策と国家資本の役割と題されていて、憲法にまつわる話が書かれていた。
イギリスから独立を勝ち取るにあたって、三民族の政治的平等を強く求められたマレー系のラーマン氏はじめ独立の話合いを進めた人々は、大枠それを飲み込んだ。ただし、憲法第153条には、「マレー人及びサバ、サラワク原住民に対する公務員、許認可等に関する割り当ての留保」というのがあって、後のブミプトラ政策の依処となるような条文を挿入している。

この条文の第1項には、国王は(このマレー系住民の)権益を守る責任を有するある。すなわち、堀井氏は形式論理的にマレー人の特権が三権分立によって成立している議会制民主主義制度の法的枠組みを超える存在であるとを意味すると述べている。なるほど…。
後、1971年の憲法改正時に、この第153条の改正はスルタン会議の承認が必要であるとなった。これについても堀井氏は、マレー人の特権の否定は、事実上スルタン制の否定を前提としなければならないことを意味していると述べている。マレー人の特権とスルタン制は法制度としては不可分であるというわけだ。

1971年の憲法改正は、5.13事件を受けて決議された。ここでは、憲法第10条(表現の自由)が改正され、スルタンの権威と地位、マレー語の国語としての地位、マレー人の特権、市民権という4つの問題が、「敏感問題」として、議会と国民の批判の対象から除外され、公開での議論が禁止されたわけだ。

…私は国民国家(すなわち三民族が融和している)マレーシアとしての憲法と、各州でファトワが出されるイスラム法(シャリーア)によるイスラム教徒の法が並立しているのだろうと思っていたが、憲法自体もマレー系優位であったことを改めて認識した次第。もちろん、その是非を論じるつもりはないが、大いに興味をそそられたのであった。

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