2018年11月14日水曜日

横尾流現代美術を読む(2)

横尾忠則・ビートルズポスター
http://beatles.fact-web.com/
article/33529669.html
結局のところ、私はデザインの世界に進まなかった。中学時代、美術は常に5を貰っていたし、絵を描くのがメシより好きだと思っていたが、今思うとメシのほうが好きだったのだと思う。(笑)横尾氏の膨大な作品群を眺むるに、内面からわき出てくるモノのパワーに脱帽せざるを得ない。

横尾氏はNYのピカソ展で画家に転向する(すなわちデザイナーがクライアントの制約から逃れることを意味する)インスピレーションを得たらしい。(私はピカソは好きではないが、その圧倒的な存在感は認める。)画家は、特に現代美術は何を描こうとしているのか。この芸術論は果てしない拡がりがある。横尾氏は三島由紀夫との関わりの中で、仏教の唯識的なとらえ方をしているようだ。以下、印象に残った文章。

パリビエンナーレ作品
http://megasameta.com/
鰯は一匹一匹は独立しているが、群れとして全体の中で生きている。それで僕は鰯のたとえを出すけれど、鰯一匹一匹は、単に一匹という「私」だと思うんだけど、それが大群に入ったときには全員の無意識とが一つになって、自分でありながら、同時に大群の意識というものにもなれるというか、魚が意識を持っているかは怪しいもので、たぶんないでしょうね。感覚だけで。だから、鰯をそっくり人間の悟りの状態に置き換えるというのは無理すが、それに近い気がしますね。人間だと、社会というか。全体的なものを常に感じているということなのかもしれない。

本能は無意識を通過していくのだという。三島由起夫は阿羅耶識にまでいったらしい。三島の最後の小説・豊穣の海は誰もわからないと横尾氏は言う。横尾氏は三島のようにはなれないとは言いつつ、それに近いもので創作しているようだ。少なくとも私にはそうとれた。だから、決まったテーマも画風の統一性はあまり問題ではないらしい。
Y磁路(4) https://blogs.yahoo.co.jp/morioka_hisamoto/38568251.html
とはいえ、ピンクの女シリーズだとか、赤の時代シリーズ、滝シリーズ、Y字路シリーズなどがある。おそらく、その時その時の横尾氏の無意識の賜物であるはずだ。このY字路シリーズも大好き。元は故郷の兵庫県西脇市になった模型店。そこから様々に発展した。
実験報告 https://www.cinra.net/news/gallery/21128/9
最後に、荒俣宏氏とのやりとりで生まれた「実権報告」という作品の話。描けば描くほど混乱していたこの絵を見て、荒俣氏が「人間図鑑ですね。」と言ったらしい。その時、学研の図鑑のイメージが湧き、絵の中に番号を描き込んだという。「番号で完成しましたね」という荒俣氏が「実験報告」というタイトルをつけてくれ、現在は東京都現代美術館のコレクションになっているという。このような無意識が横尾作品の強い味方になってくれるのだという話である。面白いではないか。

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