2025年1月23日木曜日

マルクスの結論 論理の破綻

https://jp.123rf.com/photo_49893795_
佐藤優氏の「ゼロからわかるキリスト教」(新潮社)の書評第13回目。「結論を要約しようーただ一つ実現可能なドイツの解放は、人間が人間の最高存在であると言明するような理論の立場に立ってする解放である。」ヘーゲル法哲学批判序説の本文にはこうある。つまりは、あるがままの人間の素晴らしさを回復しようということになるのだが、佐藤優氏は、辛辣に批判している。近代的な神の在り方まではきちんと押さえているけれど、議論が循環してしまって、論理が破綻している、と。共産党系の本で、この書の解説書があまりないのは、論理が破綻しているのが明白だからで、マルクスの無謬さを主張できなくなるからであるとのこと。

…さて、マルクスの逸話が実に興味深い。マルクスには3つの収入源があったのだが、まずは印税と原稿料だが、ほとんど無いに等しかった。二番目は貴族だった妻の持参金。これは比較的早いうちに使い果たしてしまった。ちなみに、マルクスは貧乏だったというのが、左翼系や共産党系のものには書かれているのだが、その理由については書かれていない。と、いうのも浪費癖がひどく、ボルドーのワインが好きで、娘に家庭教師を付けて過剰なお稽古ごとをさせており、休みはコートダジュールといった具合。収入の三番目は、エンゲルスへの無心。エンゲルスへの手紙には「私にプロレタリアートのような生活をしろというのか。」と平気で書いている。エンゲルスはマンチェスターの工場の跡取りだったが、ヒューマニストで、自分が資本家で搾取している側であることに苦しんでいた。ブルジョワジーもプロレタリアートもいなくなるような世の中をつくるため、マルクスを支援していた。よって、マルクスは資本家の側にいた(=搾取した金で生活していた)わけで、しかも、マルクスは工場へは「ああいうところへ行くと目が曇るから」と行かない。そんなヒトであったわけだ。バルトもバルトだが、マルクスもマルクスである。

0 件のコメント:

コメントを投稿