「批判」は、否定的なニュアンスがあるが、ドイツ語のklitik(クリティーク)は、相手の言っていることは何であるか対象をまず虚心坦懐に認識する。それに対して自分は賛成している、基本的に賛成だが一部は賛成できない、全体的に賛成だが付け加えたいことがある等、対象として客観的に受け止めた上で自分の評価をしていくことを指す言葉である。これは、普通日本語で使う「批判」とは、肯定的なニュアンスとなり、かなり違う。よって、マルクスは、”キリスト教は(前回記した)「史的イエスの探求」によって本質的に終わっている(=結論が出ている)。無神論こそすべての前提となっている。”と述べているわけである。
…この批判というドイツ語の和訳の誤訳について、私が真っ先に思い浮かぶのは、三大批判書で有名なカントである。もし、またカントを教える機会があったなら、真っ先に伝えるべきことかと思う。ただ、純粋理性批判に関しても、決して否定的なニュアンスはないし、実践理性批判、判断力批判も同様である。
0 件のコメント:
コメントを投稿