バルトは、近代の限界のところにいたと思う。あるいは居住していたスイスという国とも関係しているのかもしれない。スイスという国は、民族や宗教で成り立っていない、一定の約束のもとで国民が集まっている株式会社かアソシエーションのような国である。柄谷行人氏と対談していた時、バクーニンやプルードンのようなアナーキストはスイスを根城にしていたということに気づいた。ある種アナーキーな人が出てきやすい国で、バルトもまさにそういう人だといえる。
佐藤優氏が最も研究対象としていたチェコのフロマートカは、チェコのズデーデン地方がナチに割譲された時、アメリカのプリンストン大学にいたのだが、バルトは彼に公開書簡を送り、「かつてのフス主義者の末裔であるあなたがたは、あまりにも柔弱になっているヨーロッパに対して、今日でもなお力強い男たちがいるのだということを見せてもらいたいのです。」と書いた。おかげで、フロマートカは、ゲシュタポに追われ、殺されそうになり、スイスに逃げることになった。
また、ニューヨークに留学していたドイツ人のルター派の優れた若手の神学者・ディートリッヒ・ボンヘッフアーにも、戻って抵抗運動をやるべきじゃないのか、と手紙を書いた。ボンヘッフアーは、実際ナチに協力しない牧師のネットワークを作るとともに、独国防軍に入り、狼の巣のヒトラー暗殺計画に関与し処刑されてしまう。
フロマートカは、戦後、共産化されたチェコに戻り、信仰を貫き通して亡くなった。バルトは、胡散臭いけれど、その胡散臭さの中に真理があるところがあって、それを発展させようとしたり、巻き込まれた人は、大体悲劇的な結末になってしまってる、との言。
…佐藤優氏は、バルトとフロマートカは予定説によっており、天国行きのノートに名前を書かれているから、逃げ切れる、成功すると確信していたように感じると言っている。
…その後の質疑応答で、神は静的にあるのではなく動的に、ほっつき歩くというか、常に変容しているイメージだと述べ、浅田彰の「構造と力」にある”しらけつつノリ、ノリつつしらける”といったような力を動かしているものが、キリスト教の神に近いのではないかと述べている。あるいは仏教の「縁」に非常に近いとも述べている。「構造と力」は学生時代に読んだなつかしい本である。ドゥルーズを中心にポストモダンの思想を紹介した哲学書である。仏教の「縁」に近いというのは、少し驚いた。プロテスタント神学と縁起(えんき:縁りて起こること=すべての物事には、必ず原因があり結果があるという真理)の対比まで出てきたことに、驚きを隠せない。また、イスラム国に関係して、中田考氏をかなり批判している記述があった。私が希望する二人の対談の実現は困難だと感じた次第。
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