2025年1月25日土曜日

1260年と1524年

学院の図書館から「天国と地獄 キリスト教から読む世界の終焉」を佐藤優氏の本とともに借りた。最大の理由は、ダンテの神曲の世界観の図(1月11日付ブログ参照)が載っていたからである。(その後、追加で「神曲」の煉獄編と天国篇も借りてきた。)この本は、基本的に図像学の本ではあるのだが、読み勧めていくうちに参考になる箇所もあったので、また書評というか備忘録というか、その内容を記しておこうと思う。

ヨーロッパのキリスト教世界では、当然ながら創世から終末といった直線的な史観を有している。旧約や新約の黙示文学を研究し、終末の時期が言われた事が度々あったようだ。まさに受験の世界史には出てこないような逸話である。本日は、その終末予言の騒動について記しておこうと思う。

アウグスティヌスの千年王国の論や黙示文学を研究した聖母マリアの父と同じ名前のヨアキム(中世イタリアの預言者/1202没)という人物が考察し、数字の神秘学によって1260年が終末の時期とされた。1240年頃からアングロ・ノルマン黙示録が多く書かれ、1242年のタタール人の侵攻は、アンチクリスト(キリスト教の敵)の支配が間近であるとされた。1250年頃修道士によるヨアキムの教えをスキャンダラスに伝え大騒ぎになったらしい。しかし、1260年は何事も起こらなかった。

次に終末の時期とされたのは、1524年。1499年にドイツの占星術師によるパンフレット(出来て日の浅い印刷技術によるもの)が元になったのだが、信じられないほどの数(30年間で1000万部)が印刷された。ルターを含めた神学者は占星術と対決し、騒動を収めようとしたが、当時の社会不安は凄かったようだ。結局1524年も何も起こらなかったのだった。

…当時の知識人はラテン語で聖書を読んで、黙示文学に触れていたであろうし、一般民衆も識字率は低いものの、終末への恐怖にまさに動物的に慄いたであろうと十分推測できる。ハプスブルグ家のカール(後のカール5世だと思われる。)は、マタイの福音書にある「山に逃れるものは生き延びるだろう。」というイエスの言葉にそって、山中に食料を蓄えさせたらしい。当時の終末は洪水によるものとされていたのである。

…ブディストである私から見ると、終末というのは、仏教の宇宙観では当然の「成住壊空」の法則そのものであって、無常なることは当然だという認識に落ち着く。というわけで、なかなか理解しがたいところであるわけだが、一神教理解のある意味中枢かもしれないと思うのである。

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