2025年1月20日月曜日

「宗教は民衆のアヘン」の真意

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佐藤優氏の「ゼロからわかるキリスト教」(新潮社)の書評第10回目。いよいよ「ヘーゲル法哲学批判序説」に登場する「宗教は民衆のアヘンである。」という殺し文句について。

「宗教上の不幸は、1つには実際の不幸のあらわれであり、1つには実際の不幸に対する抗議である。宗教は悩んでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは民衆のアヘンである。」これが、殺し文句の含まれる段落の本文。

実際、レーニンはこのテーゼ通りに戦闘的無神論を提唱し、国是として宗教を迫害した。この楔が解かれたのは、WWⅡの時のスターリンが、「同志諸君」ではなく「兄弟姉妹の皆さん」という教会の使う呼びかけをして、大祖国戦争(祖国戦争はナポレオン戦争、大祖国戦争は対ナチ)を勝利に導いた時で、なるほどスターリンは神学校出身である。その後、ソ連解時にゴルバチョフ(彼は幼児洗礼を受けていたらしい)が楔を解くが、すでに半世紀にわたる迫害で、ロシア正教会の宗教的イデオロギーは崩壊していた。

さて、マルクスのこのテーゼを、中世や近世以前の宗教の瞑想を批判しているとマルクス主義系の解説があるが、佐藤優氏は明確に否定している。マルクスのテーゼは、近代的な神の居場所が、シュライエルマハーによって、心のなかに組み入れられた後のことを行っている。(1月13日付ブログ参照)我々の周りには、いろいろな宗教性があり、願望を宗教にしている例がたくさんある。その宗教性をどうやって相対化していくかが、マルクスの宗教批判の肝である、と。

…マルクスの本文(上記)は深い。「心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。」という文章には感銘を受けざるを得ない。キリスト教に対するニヒリズムは、ブディストの私から見て十分理解できるところである。

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