2025年1月13日月曜日

シュライエルマハーの神学

https://1000ya.isis.ne.jp/1782.html
佐藤優氏の「ゼロからわかるキリスト教」(新潮社)の書評第4回目は、プロテスタント神学の転換の内容を中心に記していきたい。ルターやカルヴァンの教義についてもこれまで詳細にブログに書いてきたので、割愛し、佐藤優氏のメタな視点を中心に見ていきたい。

宗教改革後の16世紀から18世紀半ばのプロテスタントの神学は、古プロテスタント神学と呼ばれる。その理由は、前述してきた「神は上にいる」という発想であったからである。そもそも、プロテスタンティズムの本質は、「イエス・キリストに帰れ」ということで、カトリックを旧教、プロテスタントを新教と呼ぶことが誤解を招いていると佐藤優氏は言う。啓蒙主義に始まる進歩史観は近代以後主流になったが、これはフランス革命以降の流行にすぎない。それまでの歴史観は、「下降史観」で、過去に、原点に、初心に帰ることが良しとされてきた。プロテスタンティズムは、「下降史観」、復古主義的であることを抑えておかねばならない、と。

もう一つ、プロテスタンティズムは、当初においては反知性主義であった。腐敗していたカトリックには(アラビアを経由したアリストテレスの形而上学から派生した)スコラ哲学があり、細かい理論にも精緻していた。そこで、プロテスタント側もスコラ的になっていくのだが、同時に物理学や天文学の発達とともに、「神様の居場所」について新たな居場所を発見する。それが、ドイツの神学者・シュライエルマハーの「宗教論」で示された「宗教の本質は直感と感情である。」、すなわち神の居場所は心の中であると、近代以後の理性中心の考えと矛盾しない形で、神を信じることが可能な神学を展開したのである。

このシュライエルマハーの神学の影響は大きく、心理学という学問を生み、また神学は心理学に吸収されていく。特に、この「宗教の本質は直感と感情である。」という規定は、自己絶対化の危険性を含んでいるといえる。マルクスの宗教批判(=ヘーゲル法哲学批判序説)は、このような状況下でなされるのである。

…さて、次回はいよいよマルクスに入るというところであるのだが、「下降史観」や「神の居場所」の転換などの極めて重要な命題が示されている。

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