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佐藤優氏は、この本文の宗教を神と言い換えても良いとしている。現代の(プロテスタント)神学は、こうした宗教批判が大前提になっている。この宗教批判を認めない牧師や神学者がいるとすれば、うんと不勉強な者。またファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)の牧師や神学者、そしてたしかに宗教というものは人間が自分の願望を投影した幻影であり、作り出したものだということを認めたうえで、人間はこういう幻影を作らざるをえない存在であると考えるニコライ・バルジャーエフや、カール・バルトらである。
バルトの弁証法神学については、昨年の4月末から5月にかけて詳細をエントリーしているので、後で逸話を中心に記しておきたい。ただ、バルトが、WWⅠの時ドイツの神学が戦争を支持した際、自分の学んだ神学が崩壊し、パウロの研究に入るのだが、当時はパウロの研究は時間の無駄だと考えられていた。佐藤優氏の、この理由についての解説が実に興味深い。
史的イエスの研究において、聖書学では、マルコの福音書をもとに、マタイ・ルカの両福音書が書かれたと考えられてきた。ただ、マルコの福音書には記載がなく、マタイ・ルカの福音書だけに共通する記載がいくつもあり、もうひとつ先行する福音書があったが散在してしまったと考えられてきた。それが「Q資料」(Qはドイツ語のQuelle:源・出所)である。(2023年12月19日付ブログ参照)である。佐藤優氏の言によると、日本聖聖書会の新共同訳の聖書のマルコの福音書には、四角い「」で虫眼鏡で見ないとわからないような注がある箇所があるそうである。それは、イエスの復活の場面で、「後世の挿入とされるが、長い間教会で真正の文書と思われていた部分」と書かれている。マルコの福音書に復活の場面がなかったということになると、大変である。(東大の西洋古典学科は、マルコの福音書の研究ばかりして無神論を強めていったらしい。笑)
さて、これに関連して、キリスト教を作ったのは、割礼を否定して世界宗教に押し上げたパウロであることは間違いない。しかしながら、パウロはかなり弁も立つし、ローマ市民権もあったし、原始キリスト教会を良しとする後世の神学者からは、かなりイカサマ師的な部分があると指摘されてきた。バルトのパウロ研究は、そんな状況下においてなされたからである。
バルトは、パウロの研究から、マルクスの言う「人間が作った宗教であること」を認めながら、シュライエルマッハーの「心のなかに存在する神」ではなく、「外部にいる神」に、神の居場所を変えることを提唱した。レヴィナスの言う、他者、外部性と同義である。神を語ることは不可能だが不可能を可能にしなければならないという弁証法神学の誕生である。最初は無視されたが、後に決定的な影響力を持つ。
…西田幾多郎は、ハイデッガーに学びたいと相談に来た滝沢克己に、バルトのほうが深いと勧めたという逸話も載っていた。バルトは、ナチスに抵抗しスイスで50歳で国境警備の軍務につくような人物であり、冷戦期は東西どちらにも与しなかった。ただ、人格的には破綻していたと、佐藤優氏は記している。
酒飲みで、パイプ好き、妻と5人の子どもがいたのに、13歳年下のシャルロッテ・フォン・キルシュバウムと自宅でおぞましい三角関係の私生活を送っている。(画像参照)口述してタイプを打たせていた彼女が脳に異常をきたしてから「教会教義学」の執筆も未完に終わる。ちなみに、シャルロッテには印税を分けていないし、月2万円程度の小遣いを渡していただけで、奴隷的搾取をしていたようだ。しかも、「教会教義学」の公刊できた「断片」の最後には、「愛する妻ネリーへ」とあるそうで、まあ、どんでもないオッサンであるわけだ。
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