2019年1月6日日曜日

沢木耕太郎の「銀河を渡る」4

第1部の最後のエッセイは、「足跡ー残す旅と辿る旅」である。このエッセイは、森本哲朗氏との対談から始まる。砂漠を旅した経験を語り合うのだが、ここで両者の旅は違いがいくつもあるが、沢木は「夢見た旅」であるという共通点を感じる。だが、その後、この「夢見た旅」にも2種類あるのではと思うようになったという話だ。ひとつは自分が自分の足跡を残す旅であり、もうひとつは誰かが踏み残した足跡を辿る旅…。内容が極めて面白いので、ネタばらしは、ここまでとしておく。

…私もこれまで公立高校の社会科教師としては、スタートが遅かったわりに、様々な旅をしてきた。ツアー旅行であった最初のアメリカ行やJICAにお世話になったケニア行、研修旅行の付き添いだったアイオワ州や北京などを除いて、たしかに、自分で足跡を残した旅と、誰かの足跡を辿る旅があったように思う。

…自分で足跡を残した「夢見た旅」。念密な計画を立てて臨んだNYC10日間の旅。サウスダコタやワイオミング州を回った旅もそうだ。南アフリカ・ジンバブエ行・ブルキナファソ行もそうだと思う。

…ロスからサンディエゴ、そしてR66をめぐった旅は、TVで見たR66の街・セリグマンを目差したので足跡を辿った旅といえるかもしれない。先日のパース行も、昔見た雑誌がその因となっている。一時期、アメリカ南部・公民権運動の足跡を辿ろうと計画したこともある。もし実現していればまさに足跡を辿った旅になっていたはずだ。

…ちなみに、森本哲朗氏の名前が出てくるが、森本氏の「そして文明は歩む」は、比較文明論の名著のひとつだと私は思っている。沢木耕太郎の本を読んでいると、私との属性の強さを改めて感じる次第。

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