2019年1月5日土曜日

沢木耕太郎の「銀河を渡る」2

Kindle版の合本がでたらしい
沢木耕太郎のエッセイ、少しずつ噛みしめるように読んでいるのだが、第一部「鏡としての旅人」をついさっき読み終えた。いやあ、面白い。1つひとつは短文のエッセイなのだが、深く印象に残るものだ。ちょっとずつ紹介したい。

タイトルになっている「鏡としての旅人」は、沢木が「深夜特急」で香港・マカオや東南アジアを旅したことが、若い日本人にとって、これらの地域がオヤジたちが企業戦士として戦っている場であり、買春ツアーの目的地から、「旅する場所」に変化したことについて書かれている。

閉話休題。沢木はこんな風に書いている。「アジア、とりわけ東南アジアは、どこに行っても食事に困らないだけでなく、長く旅をしていても精神的に追い詰められることがなかった。多くの人がいる気配が心を安らかにさせてくれたし、彼らの根本的なやさしさが旅を続けていく勇気を与えてくれた。」…今、マレーシアにある私にとって、まさに皮膚感覚で納得できる文章だと思う。

そして、私たちが旅する土地としてのアジアを発見したように、今アジアの人たちが、旅する土地として日本を発見してくれている。彼らが感動するのは、日本人にとってはなんでもないこと、清潔、親切、美味しいといったものに心を奪われているようである。日本の政治家は依然として沸騰するアジアの中心にいたいと願っているらしいが、所得倍増計画が出た1959年の同じ正月の新聞に、三島由紀夫のエッセイが載っていたという。「世界の静かな中心であれ」沢木は、三島に同意するわけだが、その静かな中心とは何か?それは、アジアから来る「鏡としての旅人」に正面から向き合うことで何かが見えてくるのではないか?と結ばれている。

…さすが、第1部のタイトルにされているエッセイである。沢木もこのエッセイを気に入っているのであろう。私は、今、沢木のいう「鏡としての旅人」を毎日育成しているわけだ。そして日本が、三島の言う「世界の静かな中心」となることに私も大いに賛成だ。

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