2016年6月25日土曜日

中田・橋爪「クルアーンを読む」11

アブラハム/イブラヒームのアラビア語表記
イスラームの歴史観について、中田氏の講義が続くところから、今日はエントリーしたい。
クルアーンは、大きく分けて、神について、人間に対する命令・法について、もうひとつ歴史について語っているのだという。イスラームの歴史観では、ムハンマドが創始したとは考えていない。「ディーン」(宗教)という言葉があって、そのレベルでは偶像崇拝の宗教もあるけれど、神が人間にもたらされた宗教は、あくまでアダムからムハンマドに至るひとつだけである。ただし、律法、シャリーアは、預言者によって違う。ムハマドのシャリーア、イエスのシャリーア、モーセのシャリーアは違う、とのこと。

…というわけで、先日の授業での話。生徒に聞いていて、ユダヤのコーシャ(食物規定)とハラルはだいぶ違うことがわかった。私はかなり近いものだと誤解していたのだが、ハラルは海のものは基本OKらしい。だから、ミッドバレーにあるイオンや近くの屋台にある「たこ焼き」はムスリムが食べてもOKなのだった。ずっと不可解だったのでほっとした次第。

閑話休題。アダムから人類の歴史は始まるが、その時点では法はない。その意味では実質的にはアブラハムから(歴史が)始まる。ユダヤ教徒やキリスト教徒は、ユダヤ教徒・キリスト教徒しか救われないというけれども、ではアブラハムはどうなのか。ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないではないか、という問題意識がイスラムでは重要で、毎回の礼拝の中で、アブラハムの祈りというのがあるそうだ。

礼拝で座った姿勢の時、信仰告白のあとで、「アッラーよ。ムハンマドとその人々に、アブラハムとその人々に祝福を与えてくださったように祝福を与えてください。」という言葉を2回繰り返しているとのこと。アブラハムはものすごく重要でイスラムの根本的な部分だといえる。

ここで橋爪氏の質問。では、ユダヤ人にはユダヤ法があり、またこれを破棄したイエスの役割は何だったのか?イスラムはどう説明しているか、を知りたい。

中田氏は、ユダヤ教徒は「ヤフード」と言うのだが、「バヌー・イスラエル(イスラエルの息子たち)」という表現のほうがよく使われる。彼らは大きな恵みを与えられている。たくさんの預言者を送られているからである、とクルアーンにある。イスラムはユダヤ教徒を特別なものと見ているのは事実。
しかし、クルアーンにはすべての民族(固有名詞はないけれど日本にも中国にも)に預言者が送られていると明示されている。その中で大預言者は、新しい法をもたらした人間である。クルアーンに名言はされていないけれど、環境が違い、状況が違うので、それぞれに法が違うのは当たり前であるとう考え方である。
イエスも、律法の一部を廃棄するけれども基本的にはイスラエルに遣わされた預言者で、イスラムでは、モーセの方が地位が高い。イエスには「神の霊」という尊称もあるし、いろんな奇跡を起こした偉い預言者であるとされている。だが、イスラムではそういう奇跡よりも法をもたらすほうが重要なので、モーセの方が偉い。それはともかく、イエスもモーセもイスラエルの民族預言者でしかない。
普遍預言者、人類全体に遣わされた預言者はムハンマドだけである、と答える。したがって、それぞれの民族が民族レベルの法を持っていたが、ムハンマドによってグローバルな法がもたらされた、これで人類が普遍的に救われる、こういう段階を踏んできたという言い方ができる、というわけだ。…なるほど。

…ムスリムの生徒に、ユダヤ教やキリスト教も含めて一神教として比較宗教学的に教えるのは極めて難しい。どうしても第三者的な見方ができないからである。信仰者としては当然であろうと思う。なにより私がもっと勉強しなければ、と思うのだ。

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