第一次中東戦争後の1950年、イスラエル国会は「帰還法」を成立させる。全てのユダヤ人はイスラエルに移住し、市民権を得る権利を有するというわけだ。イスラエル成立以後、最初の10年間で人口は2.5倍以上の200万人に達した。さて、一方、この中にはイスラエル建国で、居住していた国で反ユダヤ的機運が起こった中東や北アフリカから逃げ出してきたミズラヒムの人々が75万人以上いた。彼らは、イスラム圏(イラク、モロッコ、イエメンなど)にいたのでスファラディの中に入れられることも多いが、アシュケナジとは外見も違い、アラビア語を話す人々だった。主流派であった左派のアシュケナジは彼らを公平に遇していたわけではない。彼らは、文明的で生産的な市民になるべく再教育と啓蒙が必要な粗野な人々と見られていたのであった。
イスラエルに到着したミズラヒムは、滞在キャンプのテント村に押し込まれ、その後比較的大都市から離れた周縁部に送られたり、都市部でも危険なあまり好ましくない地区に定住した。この到着時の仕打ちがミズラヒムが、左派アシュケナジ・エリートに反発する遠因となっている。
ちなみに、ミズラヒムの超正統派は、スファラデイの超正統派と組んで、シャスという政党を支持している。シャスは、現在も与党でネタのヤフ政権を支えている。入植地からの撤退には断固反対の姿勢を崩さないのは、ミズラヒムの置かれている上記の社会的な問題が影響を与えているのではないだろうか。ただしパレスチナとの和平、あるいは紛争問題については無関心で、超正統派の社会福祉政策や軍役に就かないなどの超正統派の権利を守るための与党入という面が強い。一方、アシュケナジの超正統派は、ユダヤトーラー連合をもっており、与党だがシオニスト批判も行っている。
現状では、超正統派以外のミズラヒムはアシュケナジとの婚姻が続き、混合ユダヤ文化の様相を呈している。イスラエルの社会構造は実に複雑なのである。ただ、ミズラヒムのスタンスは、占領地を巡って実に重要であると思われる。
…イスラエル行以来、妻は、よくヒヨコ豆を料理に使う。これらの食材はミズラヒムの影響らしい。ちなみにミズラヒムのことを調べていたら、ニール・セダカが(トルコ系)ミズラヒムであるらしい。私は、彼のSUPERBIRDという曲が大好きで、聞きすぎて今でも英語で歌える数少ない曲の1つである。
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