https://4travel.jp/travelogue/11652286 |
ところで、19世紀後半のオスマン帝国支配下、パレスチナは開発の遅れた辺境地帯であって、大半は不在地主の土地で小作人として貧しく、識字率も低くかった。シオニストの移民が押し寄せた頃、パレスチナ人の人口は60万人ほどだった。この状況が変化を見せたのは、オスマン帝国の近代化政策で、パレスチナの無法地帯を取締り、道路や鉄道のインフラを整備し、農業生産も向上した。これはオスマン帝国全土で行われたものであるが、これが反対に帝国の衰退につながる。各地でナショナリズムが高揚したからである。ギリシア人、マケドニア人、ブルガール人、アルバニア人などが主であるが、パレスチナを含むアラブ世界も同様であった。パレスチナ人にとって、押し寄せてくるシオニスズム(ユダヤ人のナショナリズム)に対抗するため、自らのナショナリズムが高揚していくのである。
…上記のパレスチナ人の起源に関連して、遊牧民国家・ハザールのアシュケンジ起源説を調べてみた。支配層がユダヤ教に改宗したこと、ユダヤ系を受け入れたことは事実としても、アシュケナジの起源説(すなわち、血筋の起源はパレスチナにあるのではない説)は違うことがかなり明白である。
0 件のコメント:
コメントを投稿