2024年12月23日月曜日

人類史上最もやっかいな問題5

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「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評第5回目。今回は、WWⅡ直後の状況についてである。ホロコーストの惨劇は、世界とシオニズムに大きな変化をもたらした。アラブの反発を恐れ、イギリスによる移民規制は続いており、海上封鎖(有名なのが上記画像のエクソダス号事件)まで行われ、ヨーロッパからの生存者は他の難民キャンプに送られていた。ユダヤ人への同情は高まっていく。両者の対立がさらに高まり、イギリスは世界中の反英感情の中、苦悶する。ついに、ユダヤ系の民兵組織はイギリスを追い出す反乱に打って出る。イギリスは、国際連合による管理を求めた。国連パレスチナ特別委員会の出した結論は、結局のところパレスチナ分割案であった。

1947年11月から翌年8月まで、ユダヤ人民兵組織とパレスチナのアラブ人・近隣の志願兵の間で内戦となった。アラブ側は、主要都市部から離れたキブツやコミュニティを攻撃し、エルサレムを包囲。2月にはアラブ系の過激派がエレサレム市内で爆弾テロを行い50人の市民と数百人の負傷者を出した。4月、極右の過激派イルグンとレヒ(イスラエル開放戦士団)が、ディル・ヤーシン事件(民間人の婦女子を含む250人を虐殺)を起こす。ユダヤ機関やイシューブから非難を浴び、アインシュタインやアーレントもアメリカから糾弾した。しかし、この事件がアラブ系の人々に与えた恐怖は大きく、戦況が反転する。ただ、著者によると、この事件は、今のイスラエル支持者にはあまり知られていない、という。

1948年5月14日テレアビブ美術館(現独立記念館)で、ベングリオンは独立宣言を行う。アメリカのトルーマンはすぐさま承認した。翌日、トランスヨルダン、シリア、エジプト、イラクの軍隊が侵攻、戦争(第一次中東戦争)は第二段階に発展する。イスラエル国防軍は、イルグンとレヒも統合したが、彼らは過激派として従わなかった。ベングリオンは、彼らの秘密裏な武器調達(テレアビブの沖合に停泊していたアルテレナ号)を赦さず、後首相となるラビンに砲撃を命じ、ユダヤ人同士で衝突した。しかし、これ以後は国防軍の統一が図られた。このように、ユダヤ人の中でもベングリオンら実利主義の社会主義的シオニズムの一団と、右派シオニストの対立構造は、すでにあり、現在のリクードなどに繋がっている。

1949年7月20日、中東戦争終結。歴史的パレスチナの78%をを領有。ヨルダンは、ヨルダン川西岸と東エルサレム(但しヘブライ大学のあるすコーパス山はイスラエルの飛び地)、エジプトはガザ地区を得たが、パレスチナ人には何も得られなかったばかりか、約70万人が難民化した。

…ホロコーストによるユダヤ人の悲劇は、西側が罪の意識を持つことは当然としても、パレスチナ人がその贖罪をしなければならない、というのはまさに理不尽であるといわねばなるまい。

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