2020年5月26日火曜日

香港「国家安全法」問題考

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59534410V20C20A5EA1000/
昔々、まだイギリス植民地だった香港に行ったことがある。湿気を無茶苦茶含んだ熱風と雑然とした街並に、かなり驚いた記憶がある。私が旅装を解いて最初に向かったのは、清真寺。要するにモスクである。実は、これがモスク初体験で、パキスタン人に礼拝の仕方を教えてもらった。また沢木耕太郎の「深夜特急」よろしくスターフェリーで九龍半島から香港島に毎日往復していたこと、フェリー乗り場近くでタガログ語でおしゃべりしている若い女性(要するにフィリピーナである)の集まりなどの記憶は鮮明だ。後でいろんな観光地に行ったのだが、あまり記憶に残っていない。この頃から観光地より、「人間」を見に行っていた気がする。

その後、中国本土には、4回足を踏み入れた。最初の本土の旅は、香港の雰囲気とは全く異なり、南京などまだ石炭のススの匂いがして、かなり貧しい印象だった。人民服の人も多かった。その後の経済格差はだんだん縮まっていく。香港のホテルでは、アメリカや日本同様の朝食バイキングが出されていた。しかし最初の中国旅のホテルも朝食バイキングだったが、卵はユデ卵のみ。(スクランブルや片目玉焼き焼き・両面焼目玉きなども並んでいた香港とは全く違う。)パンも一種類。果物も一種類で、みかんのみ。それも土がついていた。私は、なんやかんやといいながら、このように形式的であっても朝食バイキングを中国のホテルが実施していること自体に感激した。何度も大飢饉があり、食糧不足が蔓延していた中国がここまで発展したのだ、と。その後、ホテルの食事はどんどん進化し、M高校の修学旅行の付き添いで北京の四つ星、五つ星のホテルにも泊まったが、香港と大差ないところまで来ていた。いや、それ以上かもしれない。

さて、香港である。昨年の「逃亡犯条例改正案」撤回をめぐる混乱に続いて、全人代で採決されるらしい「国家安全法」で揺れている。1997年の香港返還の時点で、中国はイギリス(同時に国際社会)に対し、一国二制度で高度な自治を2047年まで保証している。

この中国と香港とイギリスの関係について論じることは実に難しい。そもそも香港はかの悪名高いアヘン戦争においてイギリスが南京条約で香港島を永久割譲したところから始まる。九龍半島はアロー号戦争後の北京条約で割譲され、さらに深圳以南の九龍半島や島(新界)を99年間租借したものである。アジア人から見て、帝国主義の犠牲になった不当な植民地というイメージはぬぐえない。この頃のイギリスはえげつない。

だが、イギリスは、中国(中華人民共和国)を承認した最初の先進国である。(1950年)毛沢東も、イギリスとの国交を引き出すため、国際社会の一員としての立場を守った。両者とも香港のことが念頭にあったに違いない。毛沢東は長期的な戦略を持っていたと思われる。中国を社会主義化する上では、この時点では香港は資本主義の毒花でしかなかったはずだが、いつか取り戻すという決意を持っていたのだと思う。天安門広場の人民英雄記念碑の碑文は、このアヘン戦争の話から始まっている。
具体的に香港返還を進めたのは趙紫陽だが、実際には鄧小平の指示だと思われる。中国の経済発展を進める上で、毒花どころか重要拠点になるとの判断だっただろう。
中国が飛躍的な経済発展を遂げて、上海をはじめ香港とほぼ同等の経済力を持つ都市も生まれてきた。(但し米ドル/香港ドルのスムーズな融通がきくのは香港しかない。)そうなると、メリットよりデメリット、香港は再度、毒花と見えてきたのではないか。たしかに言論の自由を保障された香港メディアや市民の民主主義的な伝統は、中国共産党のノーメンクラツーラにとっては、実に厄介な存在だ。

中国共産党政府は、2047年まで待てない、世界の工場・中国が動けば国際的にも多少のことは押しが効くと判断したのだろう。私は、この判断は間違っていると思う。おそらく、鄧小平が生きていれば、「国家安全法」を香港に押し付けることのリスクの大きさを強く認識しているだろう。第二次天安門事件での強硬策はあくまで、北京で行われた内政問題である。かなり批判も強かったが、国際社会から見れば、中国内の人権問題である。しかし、香港も中国内であるが、一国二制度であり、高度な自治の保障も国際的な約束事として周知されている。天安門と全く同列ではない。イギリスの最後の香港総督バッテンは、イギリスがこのまま香港を放っておくのは道義的にも間違っていると主張している。それは、(どういうカタチであれ)イギリスが取らねばならない責任であろうと思う。米国大統領閣下はパパ(イギリス)の代理として、これ幸いと乗り出してくるだろう。日本も巻き込まれかねない。

よって、中国政府がこの香港の「国家安全法」を全人代で可決することは、コロナ禍で国際社会を敵に回している現状から見れば、極めてリスクが高いと思われる。面子で押し通せば、新たな禍となるような気がする。すでに全人代が開かれている北京上空には易姓革命よろしく不吉な黒い雲がただよっているとか、いないとか…。

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