2019年5月15日水曜日

ムスリム学生に教えるといふ事

今年は、私の担当する学生は、全員ムスリムの学生である。日本人の社会科教師にとって希有な経験であることは間違いない。こういう機会に恵まれていることを感謝している。

歴史分野の最後は、アラブの春からシリア内戦である。面白かったのは、マレーの学生は、この「~の春」という表現がなかなかイメージ出来ない。一年中夏のマレーシアだからこその話だが、こういう苦労が面白いと私などは思うのだ。

また、ここでは、イスラム復古主義についても論じる。彼らは、穏健なムスリムであるので、暴力肯定の過激派に対しては極めて否定的である。当然の反応だが、同時に欧米的な、多分にプロテスタント的な冨の追求に対しても、否定的である。一方で、自分たちはマレーシア人であるという国民国家的な発想は強い。近代国家論から復古主義を見ると、自分たちが置かれている立場を良く理解してくれた。近代国家・マレーシアの人定法の支配と神定法・シャリーアの元にあるムスリムの立場、その微妙さの中で彼らは生きているわけで、この差異を深く認識して欲しいと私は思う。タリバーンのようにイスラム神学しか知らないと、道を誤ってしまう。欧米的なるモノも含めて、様々なスタンスを認識しながら、自分の進むべき道を進んで欲しいと思う。

さて、いよいよ政治分野に入った。やはりマレーシアの政治体制から、議会制民主主義を説きたいところなのだが、聞くと、全くといっていいほど、そういう日本で言う公民的な学習を経験していない。連邦憲法のところでも述べたが、憲法自体、条文が極めて難解で、しかも量が多い。これまで学んでこなかったのも頷けるのだが、マレー系の国費生は、将来マレーシアという国を背負う人材であるから、知りませんではすまないと私思う。今日は、イギリスと対比しながら、およその政治システムを教えた。学生達は、大いに喜んでいた。次回からは、日本との対比になるのだが、彼らの寄って立つマレーシアは、日本とは大いに異なる。そういう異文化学習的な政治学習になっていく気がする。それでいいのだ。と私は思う。

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