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幸い、私は商業高校、工業高校、英語系の進学校、体育系の普通科高校、そしてマレーシアにあって日本語を学習して間もない、しかも日本の社会科に全く属性のない学生を教えた経験がある。これを鑑みるに、それぞれに合った社会科の教育法を見つけることが重要だと思う。当然ながら、普段の読書や海外渡航などの様々な教材研究の蓄積が物を言う世界である。
商業高校では、政経で経済を教えなかった。理由は簡単で、商業科で教えているからだ。今思うと荒削りだったと反省する。工業高校では、就職希望者が多く、当然ながら社会科に対する興味が薄い。これをどう克服するかが課題だったが、結局のところ、授業の面白さしかなかったように思う。進学校では、一気に社会科の立場が変わった。また本格的にESDをやり出した。大学進学を志す生徒には、向上心もあるし、さらなる伸びしろがあって違う意味で面白かった。受験指導は大変だったが、その苦労もまた面白かったのだ。体育系の普通科の生徒は、学力的には平均で、どう社会科に興味を持たせるかが再度課題になった。そして、今はマレーシアで、ムスリムの学生に教えている。彼らのスタンスを理解しながら、教えるのもまた新鮮で面白い。
これらの実践をもとに社会科をどう教えていくのかという理論構築をするのは、無理な話ではないが、結局のところ、教師自らが面白いと思える授業が良いと私は思う。生徒のニーズはいろいろだが、そのニーズに対応しながら、教材を取捨選択していくのも経験値のなせる技である。こんな歳になっても、たいした理論もなく、その辺が結論になるかもしれない。
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