2019年5月6日月曜日

隣国の「ゼロ記号」

https://www.youtube.com/watch?v=opr9jb1xtSk
先日、デリダのゼロ記号についてエントリーした。思うに、この「ゼロ記号」という概念、様々な社会集団に存在する。ある特定の集団内で、客観的に説明することが不可能な記号(シニフェはあるが、シニファンが不明確)のことである。このゼロ記号があるからこそ、その集団の統一が図られ、行動形式を規定する。

私が一番先に思いついたのは、先日記した「戦犯企業」という記号である。この言葉、戦犯というシニファンと企業というシニファンが結びついているようだが、ではこれは何なのか?隣国に規定はあるようだが、それが果たして戦犯であり、戦犯のような(すなわち戦争犯罪に結びつくような)企業だったのか。極めてあやふやであり、客観的な証拠も示されていない。隣国の反日思想に凝り固まった集団以外に、おそらく世界中が納得できるようなものではない。その集団はよくわかっていないのに、これを感情的に振りかざす。

「強制徴用工」という記号も、「従軍慰安婦」という記号も同様にゼロ記号である。もっと突き詰めると、「日本の植民地支配」という記号もゼロ記号である。日本は併合したのであって、植民地支配したわけではない。植民地支配だと主張するのであれば、植民地支配とは何か?明確に示し、その記号にある特徴的な政策と、日本併合時の政策を対比し証明するべきだ。すると、これらの記号がゼロ記号であることが逆説的に証明されるだろう。隣国には、こういう論理的な思考が出来る社会学者がきっといると思うが、道具的理性に支配され、沈黙を守っているのか。全く持って隣国の「ゼロ記号」にはウンザリさせられる。

ウンザリと言えば、今朝650番のバスが、インド系の人々が多く乗ってくる停留所近くの交差点で10分以上立ち往生した。おそらく音からするとクラッチに問題があるようだ。結局、同じコンドに済むY先生・I先生とともにバスを諦め、ちょうど停まっていたタクシーで、ミッドバレーまで乗って事なきを得た。こんなこともあるマレーシアである。とはいえ、隣国のゼロ記号の方が、はるかにウンザリ度は高いかな。

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