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我々の世代は左翼の洗礼を受けた最後の世代かもしれない。愛国心は戦争に結びつくというテーゼがあった。私は非組(教職員労組に参加していない)であったが、『教え子を再び戦場に送るな』というスローガンは重かった。私は、右でも左でもないど真ん中で社会科を教えることを旨としてきた。だが、若干心情的に左にスライドしていたと思う。愛国心を語ると言うことは、右に大きくスライドすることになると思ってきた。
ただ、今マレーシアにあることで、右や左とかいうスタンスとは別に、愛国心を語ることが可能になった。外国にいると言うことは、日本を外から見ると言うことである。私はマレーシアが大好きだし、マレーシアの人々も大好きだ。ただ、日本人と比べたとき、その相違がある。それは、日本人の多くは、プロフェッショナルであろうとしている、ということだ。仕事に対して決して手をぬかない人が多い。それは、ハンバーガーショップのお姉さんも、スーパーのレジのオバサンも、ビジネスマンも、我々教師も、である。あらゆる職業に於いて、プロフェッショナルでなければならないと信じているような気がする。倫理の教師として分析すると、これは朱子学的な影響であるといえよう。武士は武士として、農民は農民として理と気を合一しなければならないということは、言い換えればそれぞれが自己の立場でプロフェッショナルたれということだ。
この意識はさすがにマレーシアの人々には、あまり強くない。日本人の美徳だと言っていいだろう。日本を誇りに思うのは、こういう経験をする中で生まれるような気がする。もちろん、マレーシア人の方がが日本より優れていると思うことも多い。比較してどちらが優れているなどということは地球市民にとっては問題外だ。愛国心などというものは、強制されるべきモノではなく、こういう自然に感じるモノだと私などは思うのである。
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