2019年11月17日日曜日

上田正樹と佐田岬灯台

愛機G1Xではなく妻の安いカメラなのでもうひとつ色が…。
午前中は小倉にあって、公営塾の研修に引き続き参加してきた。その後急いで三崎に戻った。と、いうのも昨夜はホテルの空調の調整に失敗して大汗をかいてほとんど眠れなかったのである。急いでといっても5時間弱はかかる。(笑)熟睡できたのは大分どまりの特急ソニック号の時だけだった。普通電車は寝てしまうと大変だし、フェリーでも結局眠れずじまいだった。その理由は佐田岬灯台と、サンセットを見たかったのである。16:00佐賀関発の三崎行フェリーに乗ると、すでに灯台は点灯していた。だんだん夕陽がオレンジ色を濃くしていく。三崎高校の生徒が、佐田岬灯台から見る夕陽が最大の観光資源だと言っていた、ほんと、私もそう思う。実に美しい。残念ながら三崎港まで来ると、夕陽自体が山で見えない。先端の灯台だからこそ堪能できるということが、フェリーに乗ってわかったのだった。

さて、自宅に帰ると妻が、こちらで出来た友人と昨夜、八幡浜市で行われた上田正樹のコンサートに行ってきた話をしだした。夫婦ともども、サウス・トゥ・サウス時代の昔からの大ファンである。当然私も行きたかったが、公営塾の出張で涙を飲んだのだった。
妻は最前列に座っていたそうで、後ろを振り向くと高齢者ばかりで、R&Bを楽しむという雰囲気ではなかったらしい。友人と相談し、盛り上げなければ、ということで「キー坊~!」とずっと声援を送っていたらしい。最後はキー坊本人と握手もしにいったとか。おそらく私もいっていたら同じく、伊方町の地域おこし協力隊でもあるし、地域のコンサート盛り上げ隊として頑張ったと思う。キー坊も歳をとって、昔ほどのあの異様なほどのパワフルさはなくなっているが、それでも、日本を代表するソウルシンガーであることは間違いない。上田正樹・キー坊は最高である。
「いいな、いいな。」と私。まさか、四国にきてすぐに、それも近くの八幡浜市で上田正樹のコンサートがあるとは思わなかった。妻は実にラッキーである。

私は以前書いたかもしれないが、キー坊が「悲しい色やね」がヒットして、黒柳徹子のTV番組のベストテンで7位に入った時、大阪のバナナホールの同時中継の会場にいた。商業高校に勤務していた頃だから20代。超~昔である。
また大阪の厚生年金ホールでライブアルバム(左の画像)にもなったコンサート会場にいて、ダンス・ザ・ワルツという曲の前奏が流れ出した瞬間、大声援というか奇声を上げた。これはきっちり録音されている。(笑)キー坊のR&Bやソウルは、観客と一体になって盛り上がる熱い魂のコンサートなのだ。我が妻よ、よくやったぞ。褒めて遣わす。

追記:今日、親友のT先生がベトナムへ旅立った。日本語教師の資格を取って、ベトナムの人々を日本へと導くためである。小倉のコンビニには、ベトナム人の日本語学校の学生の店員が目立った。思わず、頑張りやあと声をかけたのであった。先日メールでやり取りしたのだけれど、もういちど記しておきたい。T先生、いろいろあると思うけど、メイビー・ノープロブレム。想定外を楽しんでくださいね。

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