2019年11月4日月曜日

蒼い石垣巡り 三机

名取からさらに、「三机(みつくえ)」に行くことにした。その前にしらすパークにも寄った。ここに行く道では、見事なタテハ(矢羽根状についた=積んだ)の石垣があった。これも素晴らしい。
瀬戸内海に面した三机は、その湾の形状から、第二次大戦の真珠湾攻撃のための訓練地になったところで、特殊潜航艇で出撃し帰らぬ人となった9人の鎮魂碑がある。まさに「トラ!トラ!トラ!」の現場なのだ。佐田岬半島には、そういう歴史もあるのである。この碑は須賀公園というところにあって、すぐ傍がキャンプ場になっていた。
碑には佐藤栄作首相の書で、「大東亜戦争」とか「軍神」とかいう銘が彫られている。「戦争を知らない子供達世代」の私としては、すぐ傍のキャンプ場との大きな違和感を感じずにはおれなかった。若くして国のために散った彼らのことを記憶に残し、その死を悼むことは非常に必要だと思うが、ことさらに軍神として崇めるのはいかがなものかと思うのである。
ところで、ここでも伊達藩の歴史を感じる遺跡がある。この三机は、堀切といって、佐田岬の最も瀬戸内海と宇和海が最も近い、すなわち地峡といっていいような場所にある。江戸時代にここに運河を掘ろうという計画もあったらしく、「堀切」という地名が残っているわけだ。宇和島藩が参勤交代のために佐田岬半島をぐるっと周回するわけだが、天候によっては、宇和海側から上陸し、陸路三机に出て瀬戸内海から予備の船で大阪に向かったらしい。この須賀公園に予備の船を置いておいた跡があったのだ。なかなか興味深い話である。
三机でも、素晴らしい蒼い石垣があった。パンフにあるお寺の石垣で、高さ6mもある石垣とレンガのコラボレーションも見事だったが、私は、これよりそれを探している時に見つけた山道に続く石垣に感激した。ちょっと掃除していたおばさんがいて、ここでも立ち話になった。今は雑木林になっているけれど、以前は全て畑だったそうだ。これらの石垣はその名残だそうだ。こちらの人々はみんな親切で優しい。だが、その話は少し悲しい。
このエントリーの最後に記しておきたいことは、須賀公園に行く道で、打ち捨てられた漁船がたくさん見た。おそらくは離漁していった人々のモノが放置されているようだ。ここでも過疎の事実をを体で感じた次第。
…いろいろと考えることが多かった三机での蒼い石垣巡りであった。

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