2016年8月10日水曜日

IBTの話(29) 環境問題の核心

http://www.blhrri.org/old/n
yumon/post-war60/041.htm
私が小学生の頃から、「人権」学習が本格化したような気がする。「にんげん」(この冊子は大阪府だけだったらしい。改めて調べて判明した。)という冊子が配布されて、同和問題、外国人問題、障がい者問題など、義務教育の期間、ひたすら人権意識を植えつけられた。おかげで、我々の世代は「人権意識」=「人間は平等であるという科学的認識」を強く持っていると思う。我々の上の世代、特に親の世代とは大きく異なる点である。

さらに、私が教師になってから、特に冷戦終了後、「人権」とともに「環境」についての教育が始まったように思う。息子たちの世代では、「環境」を意識することが当然になった。教育というのは、こういう世代的なマクロな時間の流れで、重要な指針を示してきたように思うのだ。

環境問題を論ずるにあたって、この事は極めて重要な、核心的問題である。個々の地球温暖化や砂漠化など、地球規模の環境問題を詳細に教えるのも必要だが、世代を通じて意識改革するだけの必要がある問題である、ということを、はっきり教えるべきだと私は思う。

マレーシアにおいて、開発と環境の問題は、まだまだ二律背反に近い立場にあるのかもしれない。本来は、二律背反ではなく、止揚する関係、すなわち「持続可能な開発」へと弁証法的に発展すべきところだが、この点においては、文字どうりまだまだ「途上」であるのかもしれない。

だが、IBTで日本語を学び、日本留学を志す生徒たちには、こういう「開発」と「環境」の関係性に関する問題意識をしっかりと打ち込んでおきたい。そう思って、汗だくで話をしている。幸い、彼らは優秀で、十分理解してくれているように思う。ありがたいし、嬉しいことである。

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