2013年8月16日金曜日

山本幡男氏の「道義」

隠岐に残る山本氏の石碑 HPより
終戦の日の昨日、たまたまアンビリバボーというバラエティ-番組で「収容所から来た遺書」という、とても民放のバラエティー番組とは思えない、NHKのドキュメンタリーにも匹敵するほどの内容を見た。主人公の山本幡男氏は、シベリアに抑留されていた方である。

家族と共に満州にいた山本氏は、「この戦争は負ける。」と言い、「子供に教育をつけさせるように」と述べて家族を帰国させた。2ヶ月後終戦となったが、山本氏はシベリアに送られ抑留生活を送る。重労働の地獄のような日々の中で、希望を失わず、雑誌を発行したり句会を催したりする。日本語の文章を書くこと自体がスパイ行為と見なされる中での話である。「いつか必ず帰国できる。」と常に仲間を励まし続けてきた山本氏だが、ついに病に倒れる。すでに手遅れであった。仲間は山本氏に遺書を書くことを勧めた。ノートに記された15ページ文の遺書を残し、彼は他界する。仲間は、限界状況の中で、この膨大な遺書を有志で分けて暗記する事を思いたつ。いつ帰国できるとも解らない中で、常に脳裏に刻んでおくという苦行のような行為である。もしメモなどが見つかったら死の危険さえもあった。しかし、彼らは、2年後その分割して記憶された遺書を一言一句そのままに、次々に家族の元に届けるのである。

本人の筆跡でない遺書を受け取った妻は、訝しがる。しかし、その違う筆跡に隠された事実に、夫の人徳を深く感ずるという話である。届けた仲間もまた、山本氏の遺書に励まされ生き延び、こうして帰国できた、と感謝しているのだった。

凄い人がいたものだ。仲間との命がけの絆をここまで構築できる人がいたのだ。ただただ感動せざるを得ない話ではないか。

そして長男は、山本氏の「子供たちに教育を」という意思を体現して、東大に進学し教授となった。その長男が、遺書にある「最後に勝つものは道義だ。」という言葉について語るのだ。道徳ではない。「道義」である。
道義とは、「人のふみ行うべき正しい道」であり、「道理」である。山本氏の道義とは、人間は、いかなる限界状況の中でも希望を捨てず前向きに生きるべきだという事だと私は思う。そして山本氏の道義は、死をも超克したのだ。

<アンビリバボーのHP>
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/130815_1.html

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