2011年8月28日日曜日

人は石垣、人は城である。

『武田節』の武田信玄
大阪府の教育長が会見を行い、知事の私党の条例案について批判しました。教育関係者以外にはわかりにくいところもありますので、解説しておくことにしました。但し、この解説はあくまで私見です。新聞記事は、WEBの産経ニュースを借用しました。

 大阪府教委の中西正人教育長は26日の記者会見で、橋下徹知事率いる「大阪維新の会」(維新)が府議会と大阪、堺両市議会に提出を検討している教育基本条例案について「これまでも知事から教育についての問題提起はたくさんあった。政治が教育から過度に遠ざけられているという認識は心外だ」と反発した。
 中西教育長は会見で「この3年間、知事とは活発な議論をやってきた。大阪ほど知事と教育委員会が議論をしている地域はない」としたうえで、「条例がなくても教育環境を整えることはできる」「府立高校の学区の撤廃や、①画一的な統廃合などをすぐに実施したら、大阪の教育は大混乱する」と述べた。
 同条例案の教育委員の罷免や首長が学校目標を定める規定については「(適法性について)疑問がある」と指摘。府教委として教育基本法など関係する法律との整合性を検討していく考えを示し、②校長の公募についても「極めて困難だ」と話した。

①の画一的な統廃合などを実施すれば大阪の教育は大混乱するとは、どういうことか解説したいと思います。
統廃合と簡単にいいますが、現場では、生徒も教師も大変なことになります。市立の高校でも、商業科が時代の変化の中、進路が保障されなくなって統廃合されたりしましたので、私は経験がありませんが、多くの先生方から様々な苦労話を聞いています。
廃校が決まると、どんどん教員が転勤していきます。学校には、教務(出席や時間割、成績、日程などを司ります)、生活指導(風紀や特別指導、クラブや生徒会などの特別活動、遅刻、奨学金などを司ります)、進路指導、図書、もちろん担任など様々な分掌に分かれ学校を運営しています。生徒数が減って(たとえ1学年だけになっても)も、そういう仕事はなくなりません。したがって分掌の仕事が、転勤による人員削減で一人二役、三役となります。教科指導も、教員数が減って、担当科目もたくさん持たざるを得ない(たとえば、5つの異なる授業を担当するような)ことになるようです。(私の経験では、教材研究の関係で4教科が限界でした。)職員室には、統合する学校へ運ぶ物品を選び、リストを作り、まるで差し押さえの札の中にいるようになるそうです。こんな環境で、生徒に満足な教育活動ができるのでしょうか。教員も大変ですが、生徒がかわいそうです。クラブもどんどん指導者が去り廃部となり、本来なら楽しいはずの行事も、縮小していかざるを得ません。

一方、統合に向けての話し合いが何度も行われます。同じ市立の商業高校でも、細かな違いはそれこそ星の数ほどあります。制服も違うし、その風紀指導も違います。それらをどう止揚するのか。話し合っている教員がそのまま統合される学校に残るという保障もありません。結局、統合してから止揚するしかなく、混乱するのは自明の理です。もちろん教科の履修も若干差がありますし、一から進路用の書類も作成し直しすることになるでしょう。教師が、そういう統廃合さえなければしなくていい余計な仕事に忙殺されるのです。生徒にもっと向き合う時間が欲しいと思うに違いありません。
生徒も教員も大混乱するというのはそういうことです。

これが、大阪府の高校で常態化した場合、どうなるか、教育長には十分見えているのでしょう。こんな大阪府内の高校に奉職するよりは、他府県へと教員志望者も減少すると思います。私も教え子には大阪府の高校教員になることを勧められません。もちろん現場の先生方も嫌気がさし、士気が若干衰えるだろうと思います。人は石垣、人は城です。

*『人は石垣、人は城』は三橋美智也の『武田節』の一説です。(2番の歌詞に出てきます)

②について、校長の公募が困難な理由を、解説したいと思います。
そもそも、私立高校は、独自の教育目標をもっています。公立高校は、教員が定期的に転勤し、そのアイデンティティとなるような特色を守ることはかなり難しいと思います。地域に根差して、税金をもとに、出来ることを精一杯行うのが公立高校です。この両者を競争させるということ自体がおかしいと私は思います。結局、私が何度も主張する『教育は数値では計れない』からです。民間企業の経営者の優秀さは私も理解しているつもりですが、優秀な民間の方が学校長になられても、おそらくソコがすぐわかるはずです。もし、若手の教員で学校長になりたいと思う人がいればやって見ればいいと思いますが、よほどの人物でないと挫折すると思います。教育長は、そのことを『極めて困難』という言葉で表しておわられると私は推察するのです。人は石垣、人は城なのです。

『武田節』の、その続きは、情けは味方、**は敵となります。教育長の異例の批判会見、私は、大阪の教育を背負った人が、非常事態である私学からの転入試験を前にしての、やむにやまれぬ『想い』の発露だと感じました。

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