2011年8月13日土曜日

”教授”、ガーナを語る2

ガーナといえば「棺桶」である
昨日のピーター会での”教授”の話の続編である。このブログを読んでいただいている皆さんにとって、「ガーナ」といえば、やはり思い浮かぶのはチョコレート(カカオ)だろうか。実は私は「棺桶」が浮かぶ。国立民族学博物館にも昔展示されていたこともある。妙にリアルでポップな、様々なモノの形をした棺桶でである。”教授”がアクラの街の地図をもとに説明されていた時、私は「棺桶屋横町」の所在を聞いたのであった。”教授”は御存じなく、どうやら点在しているらしい。なお、ガーナでは親族が亡くなると1カ月以上遺体を保存しておくそうだ。小さな遺体のための家を作り、そこに安置し、棺桶に入れて教会に運び長時間の葬儀セレモニーを行うらしい。”教授”も教員養成カレッジの関係者として参列したことがあると言われていた。親族は赤い服(布をまきつけるような衣装)を着るのだそうだ。また日本の霊柩車が輸入されているとのこと。ガーナで見たら、腰を抜かすなあ。(笑)ガーナの葬儀文化は、かなり面白い。

ところで、霊柩車の話が出たので…。ガーナの車は全て左ハンドルらしい。日本車も左に改造されるらしい。(20万円ほどかかるとか。)やっぱり、ケニアのマタツーのような乗合バスがやっぱりあるそうだ。ガーナでは、”トロトロ”と呼ぶらしい。ピーター会の面々はこの話、大いに盛り上がった。(第三者かた見たら、極めて珍しい変な高校教師集団だ。)

「ガーナの呪術事情」について質問してみた。ガーナでは、呪医はあまりいないという。理由は他のサブ=サハラ諸国より医療保険が充実しているからで、妊産婦・経産婦へのケアーも行われているらしい。それは凄いなと思った次第。ただ、”白”は少なくても、”黒”はあるらしい。市場などで、野菜が下に落ちていても誰も拾わないらしいのだ。黒魔術師が呪いをかけていると彼らは信じているとか。乞食さんも、お金を乞うても、下に落ちている硬貨は拾わないという。先ほどの葬儀でも、死者の家は取り壊し、絶対悪霊を払うのだそうだ。
ガーナの習慣で教授が驚いたのは、ホームステイの時の食事の方法だったそうだ。主人は主人、客は客という感じで、1人ずつ食事をとるのだそうだ。夫人と子供も別にとっていたらしい。座る場所が厳格に規定されているようなことは聞いたことがあるが、かなり珍しい習慣だと思った。

大英博物館の偽物(笑)
さて、”教授”が派遣前の研修で福島県のJICA二本松研修所にいる時、ずいぶんと派遣先のクマシの歴史を調べたそうだ。クマシは、アシャンティ王国の首都だったらしい。ここには宮殿もあって、ゴールデン・スツールという、誰かが「日本の三種の神器のようなものですね」といった民族の象徴的な椅子があるらしい。植民地化を図ろうとした英軍の司令官がそれに座らせろと要求したとき、民族の怒りが爆発し、戦争になったとか。一時はギニア湾まで追いつめながらも、援軍が到着して敗北。この椅子は大英博物館にもっていかれたらしい。ところが、これは偽物で、本物は宮殿内にあり5年に1度公開されると言う。やるではないか、アシャンティ。このアシャンティの末裔が、私がジンバブエから南アに帰る夜行バスで語り合った”アカン”の人々である。私のガーナの人々への印象は”アクティブな感覚の持ち主”である。

”教授”が、アルコールが入った後、ふとこんなことを言われた。「今まで、いろんなところでガーナの話をする機会があったけれど、ピーター会の皆さんが一番熱心に聞いてくれた。これまで話したくても遠慮してしまい、ストレスが溜まっていたけど、今日はスッキリしました。」午前中の会議室、午後のランチ、大阪歴史博物館(展示そっちのけでガーナの話をしていた)、そして最後の居酒屋。1日中、”教授”はガーナを語り続けておられたのであった。我々ピーター会の仲間はケニアでの15日間、毎晩遅くまで、その日得た経験や意見を語りあかしていた仲間である。1日ぐらい、どうってことないし、時間が短すぎたくらいですよぉ。ガーナへは15日に戻られると聞いた。マラリアには気をつけて、我々の夢ものせて頑張ってください。

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