2011年8月24日水曜日

暑い始業式の日に考えたコト

今日の内容と全く関係のない
いつものモーニング前で寝るワン君
始業式である。大阪は34℃を超える猛暑であった。始業式では、全国制覇のなぎなた部をはじめ多くの表彰もあって盛り上がった。金メダルをかけたなぎなた部はなかなかカッコ良かった。一方、生徒の席には空席が目立つ。ダンス部が全国大会のため東京にいっているのだった。運動部だけでなく、美術部も音楽部(という名前だが、軽音楽部といったほうがわかりやすい。)も全国大会に進出している。本校の生徒たちは、クラブにガンガン頑張っている。

高校時代に何を学ぶのか。それは個々の生徒によって異なる。私はこれまで商業高校、工業高校にお世話になった。そして前任校は進学校の普通科高校だった。そして今体育系普通科高校にいる。学力も様々だったし、家庭環境も卒業後の進路も様々だった。

今、大阪では政治が教育に大きく介入しようとしている。文理科を持つ府立の伝統のある進学校に優秀な生徒を集め、府立高校の進学実績(数値)をあげるつもりらしい。一方で、私学無償化をはかり、入試を混乱させ、この春の入試では数多くの定員割れを起こす学校を作った。その多くは偏差値で言うところの中位より下の学校である。定員割れを起こしたら、それらの学校は統廃合するという。これが、教育改革なのか。京大や阪大に進学させることだけが公立高校の教育の使命なのか。ちなみに、私も阪大生を何人か送り出したが、ほんと良く自分で勉強する。反対に言えば、そんなに手をかける必要はない。手をかけるべきは、その次に控える生徒たちだった。激励し、補習をし、模擬問題を作り…。そういう生徒たちはクレバーであるから、文化祭や体育祭でもほおっておけばいい。自分たちの力だけでやり遂げる力を持っている。人間関係でも教師が介入なくても、うまくやっていける。文理科に優秀な教師を集める必要は全くないと私は思っている。受験のスキルなんて、赤本(各大学別の問題集)を研究すれば手に入る。文理科にいるような優秀な生徒は、それさえ自分でやってしまうはずだ。

むしろ優秀な(ここでは一般的な意味で、熱意、教科と人間的指導力が優秀と定義しよう。)教師を必要としているのは、指導が難しい学校なのだ。勉強への熱意がなく、クラブや特別活動などにも参加しようとしない生徒もたくさん見てきた。複雑な家庭環境の生徒もたくさん見てきた。私は、そういった中で、共に泣いて来た経験もある。だから、今があると思っている。優秀な大学を出たからといって、その教師が優秀だとはいえない。教育の世界はそういう世界なのだ。民間企業からどんな優秀な人材を校長にもってきても、本当に優秀な人ならば、この理屈がすぐわかるはずだ。

勉強が得意な生徒も、不得意な生徒もいる。クラブに頑張る生徒もいれば、バイトに走る生徒もいる。生徒が多彩であるならば、教師も多彩な人材が必要なのだ。生徒が多彩であるならば、学校も多彩であるべきだ。重ねて主張したい。数値で教育は計れない。財政面から不必要に思われる(定員割れした)学校でも、そこで頑張っている優秀な教師が絶対いる。懸命に小学校からの算数をやり直したり、アルファベットを一から教えたり、クラブで自信をもたせようと、休日もとらず頑張っている教師がたくさんいる。生徒に何度裏切られても、生徒を信じ続ける教師がいるのだ。

教育は、どんな学校であれ、どんな生徒であれ、幸せになるために必要なコトを育む場だ。生徒が多彩な分、その指導方法も環境も多彩である。

幸い私は今、生徒が充実した高校生活を送れる学校にいる。だから楽しているというわけではない。本校の生徒も多彩だ。だから問題もある。希望もある。そう、多彩だからこそ良いのだ。

3 件のコメント:

  1. コメントありがとうございました。
    「手をかけるべきは、その次に控える生徒たちだった。激励し、補習をし、模擬問題を作り…。」は本当にそうだなと実感します。

    いわゆる学力で言えば、中下流にレベルの生徒たちを日々相手にしていると、このことが本当にその通りだと思います。ちなみに、学力と人間性は一致しないと思っていますが、学力が不要だとも思っていません。"そこそこ"には必要ですよね(笑)

    勉強やマナーに無縁なまま過ごしてきた生徒たちもいます。怒られないまま過ごしてきた生徒もいます。そこを少しだけでも変えていくのは、なかなかツラい面があります。

    それでも、私は「一人の力が社会を動かす時がある」と思っています。少しだけの熱意を持った卒業生がその職場にいることでも、職場は変わるのではないかと思っています。そんな人が何人かいれば確実に変化の種になるのではないでしょうか。少なくとも、そこに来る患者さんや入居者の方が「ここでよかった」と思ってもらえて、交番に行ったときに「いろいろニュースに流れるけど、警察の人って親切な人もいるね」と言ってもらえるようにはなります。入れものは変わらなくても、変化は起きるのです。

    いずれ、彼らが指導する側になった時にその考えを広めてもらえたら、全員でなくても、何人かの同僚や部下が同意をしてくれたら、少しずつでも社会が住みやすくなるのではないか。そう思っています。私たちはそのお手伝いをさせてもらって"も"いるのだと思うのです。非常勤講師の身で大そうなことを言ってますが、1コマ1コマの授業が、そういうことを伝える場なのだと思って授業をやっています。

    私もこの手の話だとちょっと熱くなってしまいます。
    失礼があったらお許しください。

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  2. コメントをさせていただきました。
    ちょっと長めだったので、コメントの"スパム"に分類されているかもしれません。書きながらちょっと長いかなって思ってたんですけれど…。

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  3. 非常勤講師さん、コメントありがとうございます。まったく熱い教育論議になりましたねえ。こういう真面目なやりとりこそ重要だと思います。

    このやりとりは、リンクにある『非常勤講師、ときどき就職活動中』というpart-time.lecさんのブログへ私がおじゃまして、学校と社会についてコメントしたことへの返信です。

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