2011年8月23日火曜日

膨大な情報の波に立ち向かう

先日の日曜日の朝、いつものように「喝!」「あっぱれ!」で知られたニュース番組を見ていた。私はこの番組の司会者の応答が真実味がなくて大嫌いだ。(スポーツのコーナーまで、じっと我慢して見ている。)さて、東アフリカの飢饉の事がようやくTVでも流れるようになって、その話題にコメンテーターが司会者とやりとりする。日本が国際協力した食糧がソマリアの市場で売られているという画像が流れた。この日は、毎日新聞の岸井氏がお休みとのことで、フリージャーナリストの某氏が代理で出演していた。彼は、ソマリアのアルシャバブのことを詳しく知っているのだろう。他のコメンテーターとは一味違った反応を示した。…妙に口ごもったのである。

私は、こういう物資の横流しという事実には、全く驚かない。難民キャンプでコレラが発生するのと同じだ。ガバナンスの悪さ故に起こりうることである。日本の税金で送った食料で、金儲けする輩がいる。そんな国際協力はやめろ!と怒ることは簡単だ。しかし、私は、どんな形であろうと、食糧が流通しさえすればいいと思っている。そもそも東アフリカでは、北アフリカの民主化のあおり(政府が民主化革命をなだめる為に食糧を大量放出した)をうけて穀物価格が高騰していた。そこにタダの食糧が大量に流れ込むと価格は下がる。もちろん着の身着のままの難民には無料で配る必要がある。だが、それが市場に流通することでケニアやウガンダ、エチオピアなどの周辺国の食糧価格も下がる。それでいいのだ。なによりアマルティア=センのいう「市場を飼いならす」ことが最重要なのである。

ところで、ジャーナリスト氏が口ごもったのは、以前コメントをいただいたトルコ在住の尾崎さんがブログで書かれているコトを知っていたのではないか、と私は推察している。長くなるが、尾崎さんのブログから引用したい。

『西欧諸国からの救援物資が避難民に届かない―――その原因は欧米からテロ組織と指定されている「アル・シャバブ」の妨害によるものだという。
アル・シャバブはイスラム過激派組織の一つに数えられているが、アルカイダのようなアメリカ製のインチキ組織とは異なり、ソマリアというイスラム社会の内部から興ったものである。ではその敬虔なイスラム教徒のアル・シャハブがなぜ苦しむ同胞たちに差し伸べられた手を払いのけるような真似をするのか?
以前から、WFP(国連世界食糧計画)によってソマリア国民に対して食料の援助が行われていた。2006年、あろうことかWFPはソマリアの農民がその年の穀物を市場に出荷するのと時を同じくして一年分の穀類を援助し配布した。当然市場は凍りつき農民は大打撃を受けた。激しく抗議する農民に対しWFPはその非を認め、必要な調査を行い二度と同じ事態を招かぬことを約束した。だが2007年の出荷時、WFPは前の年と同様に一年分の穀類の分配を行った。ただ、エチオピアの軍隊を護衛に配備していたことが唯一の違いだった。アル・シャバブはこの時点で彼らの活動拠点であるソマリア南部からWFPを追い出し一切の援助を拒否する方針を固めた。が、食糧難が深刻化した二年前からふたたび救援を受け入れるようにはなっていた。しかしその後、WFPから配布された食料から健康障害を引き起こす物質が検出されたという理由から、非イスラム国家および団体からの救援を強硬手段を用いて遮断するようになった。(中略)

国連をはじめユネスコなどの団体は飢餓写真を公表し飢餓救済キャンペーンを催してはパタリとやめてしまう。そしてそれを何年かごとに定期的に繰り返す。なぜか?自ら「飢え」を加速させ、自ら「救世主」を名乗り手を差し伸べる。その手をはたくイスラム教徒を「告発」し、西欧の理念をより崇高なものと世界に見せ付ける。
我々といえば、今にも折れそうな子供たちの脚を見てももはや驚かなくなっている。戦争映画の虐殺場面と同じ頻度でそれを見慣れて(見慣れさせられて)いるからだ。ソマリアが、あるいは他の国が飢えに苦しむ事実は理解できても心が動かない。人を愚鈍にさせる術はよく研究されている。』



つまり、WFPが「市場を飼いならす」どころか「市場を混乱せしめた」のである。この過去の事実がある故にアルシャバブは容易に国際的支援を拒否したというのである。(ちなみに、(中略)の部分は、ソマリアの海賊のことが書かれている。)ロイターやCNNなど欧米のマスコミには、こういう反イスラム的なところがある。私は尾崎さんの指摘に強い理解を示したい。
リビア情勢は最終段階に入ったようだ。カダフィは絶対悪なのだろうか。これは、MIYAさんの「アフリカのニュースと解説」2月25日付記事『リビア関連のニュースを鵜呑みにするな』を読んで以来、見方がかわった。
http://let-us-know-africa.blogspot.com/2011/02/blog-post_25.html
膨大な情報があふれる今、何が真実であるか、様々な角度から分析できるよう勉強していかなくてはならないと、改めて自省したのであった。

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