2010年5月20日木曜日

授業で浜村淳・エレファントマン


 私はあまり映画を見る方ではない。まして映画館に足を運ぶなどというのは稀である。最も最近見たのは、「ホテル・ルワンダ」である。(これも映画館ではなく、視聴覚行事のサンプルとして業者が開いた上映会場で見た。)それ以前となると全く思いだせない。が、約30年前、この『エレファントマン』は劇場で観た。衝撃的な映画であった。キリスト教を教える時、私はこの映画を必ず紹介する。この時ばかりは、”浜村淳”になるのである。(注:浜村淳は映画の説明を得意とするラジオのパーソナリティーで、独特の語り口とわかりやすさで関西では有名である。)
 エレファントマンのストーリーを簡単に説明すると、ロンドンに”エレファントマン”という見世物小屋が建っていた。世にも奇怪な姿の人間を見世物にしていたのである。野心に燃える青年医師が、自分の業績発表のため、このエレファントマンを小屋の親父から借り出す。エレファントマンの病状を詳しく調べ、様々な病気が原因だと発表するのである。さて、医師はエレファントマンは知能も低いと決めつけていた。しかし発表が終わった後、食事を運びに行くと彼の特別病室から声がする。良く聞くと聖書の一節である。エレファントマンは”普通の、いや信仰深い人間”だったのである。医師は、彼を救おうと、新聞にこの事実を発表する。すると様々な篤志家や女優が彼の病室を訪れる。こうなっては、元の見世物小屋の親父も黙っていられない。親父は、エレファントマンを殴りつけ、拉致しフランスで興行を再開する。医師は責任感からフランスまで追いかけ、ロンドンへ連れ戻す。安らかな場所を与えられたエレファントマンは、やがて教会の模型を作りあげると、それまで背骨の病気のため倒せなかったベッドを普通に設定し、安らかな眠りにつく…。

 何故、この映画を紹介するかというと、イエスの『律法の成就』という概念を受け、神を求める信仰(神への愛)と、神の愛(アガペー)が、無差別に、無制限にふりそそがれること、さらにその無差別な愛を隣人に与えることを、確認するためである。映画の話の後、私は生徒に必ずクイズを出す。最もキリスト者らしいキリスト者は誰か?①青年医師②見世物小屋の親父③エレファントマン④エレファントマンを見舞におとずれキスまでする女優、の4つの選択問題である。
 正解らしい正解はないのだが、ここは、やはり神の愛を最もビンビンと感じているエレファントマンであろうと私は考えている。だからこそ、彼は抵抗もせず”見世物”になっているのであり、自分をこのように扱う親父や、野心で自分に近づいた医師も、おそらくは売名のため見舞に来た女優に対しても”ゆるしている”のである。
 キリスト教の根本には、”神は守れない律法を与えることで、律法を守れず、私バカよね、おバカさんよねえと思わせる。だからこそ、神を求めるのである。神を求めなければ神の愛を感じることができない。”という前述の『律法の成就』という概念がある。そういう意味で、この映画、キリスト教の説明には最適なのである。…実は、サルトルを語るのに私は、もう一度”浜村淳”になる。いづれ、その映画のこともブログで書こうと思う。

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