2010年5月17日月曜日

アフリカ日和 その2 喜田先生


 ようやく、アフリカ日和・続編である。2003年8月6日、我々の泊まるホテルに、ケニアで活躍するJICAの専門家が集まり、懇談会をもっていただいた。ちょうどこの日、ケニアの園芸公社で専門家として指導する喜田さんという、すごいオッサンと知り合った。JICAケニア事務所はこれでもか、これでもかというくらいJOCVの現場やODAの現場を視察させてくれた。その日の最後の視察場所・園芸公社…正直疲れ果てて、何の期待もしていなかったのである。ところが、ここで我々を迎えてくれたのが喜田専門家だった。公社のエライさんらしきケニア人が少し英語を話す。するとその10倍くらい日本語の通訳を入れるのである。やがて、喜田さんが、勝手に言いたいことを熱っぽく語っていることがわかった。私は、喜田さんがやろうとしていうることをノートしていたのだが、ふと気付いた。このオッサンは、園芸農業(野菜や花などを育てる土地生産性と労働生産性が両方とも高い農業)で、ケニアの貧困を何とかしようとしている。彼のやりたいこと(園芸農業の組合化)をするためには、インフラの整備をも含むケニア大改造計画が必要になる…と当時まだ開発経済学の存在すら知らなかった私だが、そう直感した。喜田さんに、あなたは”革命家”ですか?と尋ねたら、簡単に「そうだよ。」と答えた。凄いオッサンなのである。JICA職員に、今夜の懇談会に喜田さんに、来てほしいと言うと当然問題ないとのこと。喜田さんは、汚い背広で会場に現れると、JICAの所長の挨拶もクソもなく、私と静岡のM先生を呼びつけ、懐からケニアの地図を取り出し床に拡げた。そして自分のケニア園芸農業革命計画について再び熱く語りだすのだった。1時間、この話を聞いた。

 なかなか早川千晶さんの話にならない。(笑)実は、以前からJICA職員のK氏(なんと京大工学部卒!)に、金沢のT先生と2人で「早川さんに会いたい!合いたい!あいた~い!」と切望していたのだった。そしてついに、アリスのべーやんにそっくりな副所長氏が、開宴後1時間以上過ぎてから、私とT先生の名を呼んだ。そこには、写真どうりの早川さんがいたのだった。感激した。今度は、早川さんにいろいろ質問した。キベラスラムのこと、マタトゥーのこと、マサイのこと。ところが、早川さんは、素敵な笑顔でこういうのである。「わからないですよ~彼らのこと。長年いっしょに暮らしていいても結局のところ、よくわからないですよね~。」妙に感激してしまった。無理やり判ったような気になるより、はるかに真実に近い言葉だった。これが、早川さんとの最初の出会いだった。場所は、ナイロビである。早川さんと次に会ったのは大阪。道祖神主催のアフリカセミナーである。この件はいづれまた…。

 喜田さん、今はどうしておられるのだろう。ピーター氏と”ジャンボ・バワナ”をトランス状態で歌っておられた喜田さん。すごい”男”いや”漢”を、本物の”草莽の士”、”革命家”を見た。あんな人めったにお目にかかれない。早川さんとの素晴らしい出会いをぶっとばした凄いオッサンであった。

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