2010年5月13日木曜日

アフリカ日和 その1 早川さん


今日も超多忙な1日であった。本校の中学生向け新パンフレットの製作は思いの他はかどってはいるのだが、ついついコンを詰めてしまう。さて、今朝、またまたモーニングを食しながら『世界一周恐怖航海記』を読んでいると(5月11日づけブログ参照)、著者がピーター氏の逝去のニュースを聞いたことが載っていた。(165P)一気にこのトンデモないペシミストのおっさんの旅が、私の時間とクロスした。で、今日は早川千晶さんのことを書こうと思う。早川さんは、刻一刻と移り変わるピーター氏の容体や葬儀の日程、またその様子を日本に知らせてくれた人なのである。<今日の画像は、当然、早川さんである。>

 早川さんの名前は、昔愛読していたバックパッカーの月刊誌『旅行人』で「ナイロビのうわさ」を書いているコラムニストとして知った。毎回1ページに様々なアフリカの情報を書いていたのである。JICAのケニア視察旅行が決定した直後、事前学習として「アフリカ日和」という単行本を買い求め、一気に読んだ。久しぶりに本を開けてみた。驚いたのは、早川さんも「オナトラ船」(4月29日付ブログ参照)のことを書いていることだ。すっかり記憶から飛んでいた。この本で最も印象に残ったのが、「マタトゥ」というケニアの乗り合いバスのことである。ピーター氏と空港で初めて合い、さっそくホテルに向かう中、私はマタトゥを見ては興奮していた。早川さんの本では、派手にペイントし、ガンガンにレゲェを流し、イケメンの助手を箱乗りさせた若者向けのマタトゥのことが載っていて、「おおぅ。凄いマタトゥ!」と声を挙げたような記憶がある。ピーター氏がマタトゥを知っていることに感激してくれたような記憶もある。金沢のT先生もアムス経由の機内で「アフリカ日和」を読んでいた。「向うで早川さんに会いたいねえ。」と語りあった記憶もある。

 早川さんは、世界各地を回っていた元バックパッカー。ナイロビの旅行社(道祖神のDoDoWorldである。)に勤めたあとフリーになった。夫はキクユ人(ケニアで最もマジョリティーな民族)だったと思う。当時、キベラスラムのボランティアをしていたはずだ。(今も継続中である。)キべラスラムでエイズのカウンセリングをしているNGOに行った時、2階のベランダから、延々と続くトタン屋根を見て、「ここが早川さんの頑張っているキベラやねえ。」とT先生と感慨をもらした記憶もある。我々の想いが強かったのか、その早川さんとナイロビでお会いすることができたのである。(今日は極度に目が疲れているようである。よってこの辺で…つづく)

 追記その1:我クラスのOGより、8月末から半年韓国留学へ行くとのメールがあった。相変わらずみんな頑張っている。私の携帯電話は、家を出るたびに着信メールを伝える。なんとかならんのか!
 追記その2:今年の国語科の卒業生が、大挙して里帰りしてきた。みんな髪を染めお化粧もして…。あのクソ真面目だった女の子たちが、”娘たち”に大変身していた。毎年のことだが、感慨無量。
 追記その3:某OGより、国際協力関係のNGOを立ち上げたというメールがあった。充電しようとした瞬間着信した。それはさておき、オイオイオイ…。凄い話である。

2 件のコメント:

  1. ついつい『世界一周恐怖航海記』、アマゾンで注文してしまいましたw読んだら感想コメントします!

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  2. 薄いですよ。とにかくペシミズムあふれる本です。(笑)

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