2010年5月28日金曜日

藤田東湖・回天詩史in中間考査


 今日は中間考査最終日で、私の日本史Bの試験日でもあった。受験に使わない15名の試験…。授業の方は結局ペリー来航の前説でほぼ終わってしまった。幕末維新を学ぶための序説といったところ。開発経済学から見た江戸という時代。そんな中抜け出した雄藩の状況。そして水戸学。受験科目という制約から抜けると押さえておきたい内容が次々出てきて、結局老中阿部正弘がパンドラの箱を開けたところで終わってしまった。
 さて、今回の試験、藤田東湖の回天詩史を出した。と、いっても詳しく教えたわけではない。烈公徳川斉昭が藤田東湖という人物を重用したと教えただけである。そこで、下記の漢詩を白文で出した。設問は2問。その1:この漢詩の作者を想定しなさい。東湖を含めて5人を列挙しておいた。記号回答。(正解は半数といったところだった。)その2:漢詩の中から1節を選び、感じるところを書きなさい。(書き下す必要はなく、あくまで感想文とした。まあボーナス問題である。)

三決死矣而不死。二十五回渡刀水。五乞閑地不得閑。三十九年七処徙。
邦家隆替非偶然。人生得失豈徒爾。自驚塵垢盈皮膚。猶余忠義填骨髄。
嫖姚定遠不可期。丘明馬遷空自企。苟明大義正人心。皇道奚患不興起。
斯心奮発誓神明。古人云斃而後已。

 -ちなみに書き下すと以下の通りである。-
三たび死を決して而して死せず。二十五回刀永を渡る。
五たび閑地を乞うて閑を得ず。三十九年七処に徙る。
邦家の隆替偶然に非ず。人生の得失豈徒爾ならんや。
自ら驚く塵垢の皮膚に盈つるを。猶余す忠義骨髄を填む。
嫖姚遠期す可からず。丘明馬遷空しく自ら企つ。
苟しくも大義を明らかにし人心を正さば。皇道奚ぞ興起せざるを患へん。
斯の心奮発神明に誓ふ。古人云ふ斃れて後已むと。

 かなり難しい内容だが、さすがは国語科3年である。「人生得失豈徒爾。」や「自驚塵垢盈皮膚。」「猶余忠義填骨髄。」などを、ほぼ読み切って感想を書いてくれた。(もちろん全然なのもあったけれど…)月曜日は、答案を返し、この回天詩史を解説するところから、次に進むつもりである。 

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