2025年8月31日日曜日

興味深い M・ウェーバー批判

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Alessandro-Lonati/1459103/
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第14 回目。本質学的な哲学の視点で資本主義を説明するという部分。

第一に、資本主義は、それまでの経済システム(国王がすべての所有者であった時代は収奪の経済システム)と全く違った、近代社会に固有の経済システムであること。

第二に、資本主義は、生産力を持続的に拡大していく経済システムである。生産された財を商品として、共同体、国家間で交換し合うという(資本主義の前段階的な)自由市場経済システムが、国家の経済を飲み込み、ヨーロッパの諸国家全体がその圏域となった。17世紀以後、他の文明を制覇した理由である。

第三に、その生産拡大の根本構造を、普遍交換ー普遍分業ー普遍消費という構図で示せること。(ここで言う「普遍」は、「いたるところで」という意味)市場経済は、国家間で財を交易・交換する。自国で閉じられた経済より、交換の経済は両方に利がある故である。利を増やすためには、沢山の財だ必要でありので、共同体に働きかけ、分業を促す。この分業、つまり生産技術の向上が生産力を高める。(アダム・スミスの国富論のピンの話が例として使われる。)自由主義経済が資本主義になりためには、さらに「消費」という要因が必要である。近代市民国家では、一般市民が消費のサイクルに入って3つの歯車(普遍交換ー普遍分業ー普遍消費)が回り続けることが可能になった。(中国やイスラム世界では、商業は発展したが、近代国家化できなかった故にで資本主義にはならなかった。)

…この資本主義の「普遍交換ー普遍分業ー普遍消費」という構図を竹田氏は重視している。特に、後ろの普遍分業と普遍消費が重要だと思う。ただし、授業では哲学的にすぎるので使いにくい。

マックス・ウェーバー(画像参照)の『プロテスタンティズムと資本主義の精神』について、竹田・苫野両氏は批判的である。禁欲的な勤労、予定説的な精神は、資本主義の発達と軌を一にしてはいるが、必ずしも本質論ではない、と。聖書中心主義のプロテスタントが識字率を押し上げたこと、そのことによる高度な人材が経済成長を後押ししたこと、またヨーロッパの王権は弱く、プロテスタントの経済エリートに頼らざるを得なかったこと、すなわちブルジョワジーが権力をある程度掌握できたことなどの論を紹介している。

さらに、ヨーロッパの資本主義的「競争」意識を挙げ、16世紀以降の植民地争奪戦、スペインの没落を例に取っている。産業革命の重要性がよく語られるが、これは分業の発展形であると断じている。

…M・ウェーバー批判が実に興味深い。この定説は倫理などで必ず教えるところであるのだが、本書で指摘されている識字率や高度な人材、さらに王権の弱さとブルジョワの台頭などの話のほうが定説以上に重要だと思った次第。

2025年8月30日土曜日

ノルウェイ政府系ファンドの話

https://japolandball.miraheze.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC
ノルウェイの政府系ファンド、ノルウェイ政府年金グローバルが、イスラエルのガザ攻撃は人道危機であり、ECG(投資家としての責任で戦争や人道危機に関係する企業等には投資しないという規定)に違反するとして、イスラエルの株や債権を売却することを発表した。さらに、イスラエルに゙加担するアメリカの企業の株式(キャタピラー社)も売却するということで、トランプ政権が報復関税をかけるという話が出て、大きな関心を集めているらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=2FpNvKJa7xU

1967年に設立されたノルウェイの政府系ファンドは、北海油田の莫大な収入を将来のために活かそうとしたもので、2024年時点で、世界最大の$1,8兆の資金を運用している。この天然資源のレントの最も有効な使用法として、地理総合でも触れる内容である。

ただ、モハPチャンネルでは、8月に行われたこの動きに対して、疑義をはさんでいる。時期が唐突で政治的な問題がからんでいるようだ。ノルウェイの労働党政権はパレスチナを承認すると発表したフランス、それに続こうとするイギリスに近い立場だが、中道左派でそこまではやらない穏健派であるのだが、9月の議会選挙で現在は不利のようで、連立を組む強硬派の社会党の選挙協力を得るための配慮だと言われており、選挙の結果次第では、再び方向転換する可能性もあるそうだ。

意外に、ノルウェイ国内ではこの政府系ファンドへの関心は薄いのだが、今回はアメリカの関税問題もあり、関心が高まっているようである。ポートフォリオではイスラエル関連の投資は0.1%程度=2500億円ほどだが、世界的な金融関係者も注目しているとのこと。この世界中の機関投資家が共有しているECGが机上の空論なのかどうかが浮き彫りにされたのが、今回の問題だといえるらしい。

2025年8月28日木曜日

フーコー「見えない権力」批判

https://www.etsy.com/jp/listing/1447490765/misherufknoposut-oo
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第13 回目。竹田・苫野師弟は、哲学の原理学という観点から、「表象(イメージ)の誤謬=イメージ当てはめ型批判」について批判を展開している。そこに挙げられてくるのが、ポストモダンのど真ん中にいたフーコーである。

まず、「規律権力」近代国家は、国家は一体であるという「幻想」を人々に与えるために、規律的な近代教育を利用した。近代国家は、暴力装置としての国家という古い形態から、文化全体が人間の主体を無意識に支配に従属させるような新しい支配システムと変化し、文化的な「見えない権力」による支配という像を描き出した。この像は、大きな影響を与えた。

しかし、近代市民国家は、前述の「自由の相互承認」の原則によって、徐々に時間をかけ人々の自由と福祉を実現してきた。ビスマルク以来の福祉政策、さらに普通選挙法、労働法など、歴史を見れば明確であると。フーコーは近代社会の暗黒面を慎重にピックアップし、それを詳細なデータで、近代社会を抑圧の歴史として描いたが、事実は完全に逆だと竹田氏は断言する。「見えない権力」という言い方も、実体としては存在せず、全くの表象、あるいは比喩でしかない。

近代社会では、命令に従わせる力は、実力ではなく、誰が上位の権限者になるかの「権限を与えるゲーム」であり、この権限のゲームを構成している多くのルールの束である。(選挙制度や株主総会などが謙虚な例として挙げられる。)

近代国家では、権力の独占と不当な権力が問題なのであって、権力という制度が問題なのではない。本当に権力を取り払ったら強い者勝ちの社会が残るだけであり、フーコーは、この権力の独占や不当な権力を「見えない権力」によって支配されているという「物語=表象」によって表現しているに過ぎない、というわけだ。

…たしかにフーコーの哲学の視点は実に興味深い。批判していることにも納得できるのだが、竹田・苫野両氏は、あくまで原理学としての哲学という立場から批判しているのである。見えない権力が、新たな抑圧の物語をつくっている…だから、どうすればいいのか?フーコーを始めとしたポストモダンには、そういう回答がなされていない、というわけだ。ドゥルーズやデリダも、たしかに明確な回答をもっているとはいいがたい。

追記:レッズとの三連戦、スイープで終わった。大谷投手が9三振を奪う好投でドジャーズでの初勝利、今日もキケが首を痛めたフリーマンに代わって一塁で守備も打撃も頑張っていたのだった。ところで彼らは知っている。だからどうすればよいのか?全力でプレーするのみ。昨年の同僚ラックスと婚約者に(投手大谷を打ち込めなかったが)「全力でプレーしてカッコ良かった。」と大谷選手が試合後に会った際言ったそうだが、これが野球というスポーツの原理なのだと思う。

2025年8月27日水曜日

キケが帰ってきた

https://www.sportsgalleryusa.com/product/sho-176/
ドジャーズの試合を、毎回YouTubeのハムショー氏のラジオ的中継とその後に編集されて見ることができるMLB SPOTV NOWを見続けてきた。大谷選手・ベッツ選手・フリーマン選手のMVPトリオ以下、多くの選手の顔や背番号を覚えてきて、いっぱしのドジャーズファンになってきたのだが、やはり、明るいプエルトリカン、キケ・ヘルナンデスの存在は大きい。このところ肩を痛めて負傷者リスト入りをしていたのだが、今日ついに帰ってきた。

強打者のマンシー(彼も今負傷者リスト入り)の三塁を今日は守っていた。ユーティリティープレイヤーで内外野を守れ、点差が開いた時の投手(話題にでてきたが捕手も)もこなすキケは、ドジャーズのスーパー・サブ的存在である。同様のユーティリティープレイヤーのエドマンもキム・ヘソンも負傷者リスト入りしていて、このところルーキーや新加入の内野手が頑張っていたのだが、ベンチの総大将・キケの復帰は実に大きい。今日も守備だけでなく、ヒットや犠牲フライなど大車輪の活躍で、ファンとしては実に嬉しい。31日は、キケのボブルヘッドデー(画像参照)だそうでで、間に合って本当に良かった。

…と同時に思うこと。MLBは実にハードである。試合数も多いし、移動も長いし、故障者が出るという前提で動いている。投手の投げる速球、変化球も凄いし、それを打つ打者もまた凄い。大谷選手ら強打者の打球を内野手がさばくのも当然のように見えるがどんでもない速さである。しかもこれらの投球や打者のデータが各チームで念密に検討されており、対策が練られて試合に臨むわけで、まさに世界最高峰のパワーと技術、そして情報がぶつかり合っているわけだ。また、試合後には多くのインタヴューがなされ、ここでの発言も大いに注意しなければならないことも、選手にとっては大きな負担のような気がするのだった。

2025年8月25日月曜日

長岡高専のケニア技術協力

https://www.nagaoka-ct.ac.jp/80381/
TICAD9の報道の中で、長岡高専の学生がケニアで、「現地で調達できる装置」を使って、栄養価の高いキノコ栽培を行える減菌装置を発案、地元の大学と実証実験を行った成果発表を行った、ということを知った。これは凄い。この「現地で調達できる装置」という視点がなにより重要だと私は思う。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20250820/1030034079.html

少し長岡高専のことを調べてみた。最初メインのHPを見たので、物質工学科で生命応用コースに学ぶ学生かと思っていたのだが、環境都市工学科の学生であるらしい。なにより驚いたのは、長岡高専の学科専攻横断型一貫プログラムなどの特色ある学びのシステムである。多くの高校などで行っている「探求」の授業を遥かに凌駕した教育実践である。おそらくは、物質工学科の生命応用コースの先生方も絡んでいるに違いないと私は推測している。高専は男子のイメージが強いが、今回の発表者は全員が女子学生であったのも驚いた。https://www.nagaoka-ct.ac.jp/

当然ながら、JICAケニア事務所も関係している。今回の長岡高専と関わったのは、JICAのアフリカ型イノベーション振興プロジェクトに参加しているジョモ・ケニヤッタ農工大学である。この大学には、ケニア視察の際、ちょっとだけ訪問させていただいたことがある。懐かしい。これは、ちょっとした邪推でもあるのだが、我々の視察の際もそうだったが、JICAケニアのスタッフさんは、所長以下、今回の長岡高専の学生さんの安全面等に大いに気を使っただろうと思う。本当にご苦労さまと申し上げたい。

天王山 対パドレス三連戦

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-bb-tp2-250825-202508250000233
サンディエゴで、対パドレス三連戦 が行われた。今回は1勝2敗でドジャーズは、なんとか同率首位を守った。ちなみに、もし両者が残り試合を全部勝ったとしたら、直接の対戦成績の関係で、ドジャーズが地区優勝であるらしい。

第一戦はダルビッシュの前に完璧に抑えられた。第二戦も同様。パドレスは、先発もブルペンも投手力が良いし、特に外野の守備が無茶苦茶良いことを知らされた。それに、この球場は、海風で打球が押し戻されるようだ。大谷選手のHR性の大飛球が2度も捕球された。

今日の第三戦は、山本由伸が先発し、唯一の失投を9番バッターの捕手に2ランを打たれたが、こっちも9番バッターの捕手が逆転3ランを打った。フリーマンも2本打ったし、ダメ押しで、大谷選手の45号HRを最後の最後に打ってくれた。

このHR後、大谷選手はベンチ横の最前列で、ずっとこのパドレス戦で不振だった大谷選手相手にヤジを飛ばしていたパドレスファンのおっさんに、笑顔でハイタッチするという前代未聞の仕返しを行った。ロバーツ監督も、このおっさんがかなりうるさかったようで、この行為をユーモラスに語っていた。このおっさん、試合後に大谷選手に謝罪に訪れたようで、さらに神対応(写真を撮ったり、サインボールをもらうなど)をされたようだ。このある意味単純明快なアメリカ人気質が面白いと私などは思うし、器の大きさを見せつけたスーパースター・大谷選手の実に日本人的な対応も嬉しい。

2025年8月24日日曜日

Chrome OS Flexのこと

https://cjky.smudwcwl.club/index.php?main_page=product_info&products_id=224046
マイクロソフトがWindows10を使えなくする問題について、YouTubeのいくつかのPC系のチャンネルで、いろんな情報が出てきている。そんなにPCに詳しくない私としては、既定路線で、学院でパワーポイント用に使っているPanasonicのレッツノートに関しては、ネット関係のアプリをすべてアンインストールすることにしている。学院に万が一でも迷惑をかけたくないのである。

実は、TVがない我が家では、食事時にYouTubeを見るのはこのPanasonicなので、近々見れなくなる予定である。マレーシアから使っているDELLは、速度が遅すぎるので廃棄するしかないかと思っていたのだが、DELLをChromebook化するというアイデアが浮かんだ。無料で変換できるアプリ(Chrome OS Flex)があることがわかったのである。これを丁寧に解説してくれているYouTubeがあり、USBをもとに起動できるので、Windows10に戻すこともできるようだ。このChromebook化で、YouTube専用にするのは、なんとかなりそうな気がしている。

今日のところは、DELLの中に入っている必要なデータをUSBに移してみたが、まったく遅い。そこで、PC Managerを入れて無駄なデータを掃除し、ブーストしようと試みたが、インストールするのに1時間以上かかった。(笑)さすが、HDDパソコンである。CPUはi3、メモリも4GBしかない。こんな低スペックでもChromebook化は可能らしい。いずれまた挑戦する日が来ると思う。(今日の画像は、そんなChrome OS Flexがインストールされた中古&低スペックパソコン(=Chromebook)で、5000円ほどという価格のもの。すでに商売している店があるわけだ。笑)

2025年8月23日土曜日

第9回 TICAD について二題

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20250814-OYT1T50066/
9回目のTICAD(アフリカ開発会議)が開かれているが、綺麗事が多い政治ショー的な色合いもあって、その具体的な内容についてはあまり注目していなかったのだが、興味深い取り組みがあったのでエントリーしておきたい。

まず、アフリカ地雷対策プラットフォームの設立である。以前TV放映されたウルルン滞在記で、日本では、ドイツの世界平和村のアンゴラの子供たちの地雷被害が大きな衝撃を受けたが、このアンゴラ内戦をはじめとしたアフリカの紛争では地雷がかなり有効視されてきた。というのも、安価な武器であり、殺傷しなくとも重症を追わせることで敵陣営にそれ以上の負担を与えるという効率性からである。幸い、日本には、カンボジアの地雷撤去活動(カンボジア地雷対策センター)という大きな経験値がある。今回は、5カ国以上で職員に技術研修を実施すること、また日本企業が開発した地雷探知機の供与や除去後の土地での農業開発協力、日本の3Dプリンターを活用した義足の生産能力の向上も進めるそうだ。この「技術研修」という、魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える(JICAのよく使う比喩)やり方が、実に日本的な国際協力なわけなのである。

今、アフリカでは中国離れが進んでいる。自国の原材料、自国の労働者によるインフラを整備し借金を押し付け、その国の資源を奪うようなカネ・カネ・カネの「アンゴラモデル」と呼ばれたシステムを、アンゴラが拒否したという報道があって、多くのアフリカ諸国が同調するのではないかと見られている。今こそ、利権まみれの中国に代わり、日本がイニシャチブを取っていくべきだと思う。

さらに、以前から私が注目していたモザンビークのナカラ港とマラウイ、ザンビアを結ぶ「ナカラ回廊」の開発を加速させるらしい。これは、相手国の要請を待たずに行う「オファー型」の枠組みである。これは内陸国の罠にハマっているザンビアの銅をタンザン鉄道ではなく、このルートで確保するという日本の戦略的なサプライチェーンの強靭化と見られている。「ナカラ回廊」の開発自体には大賛成だが、利権の匂いがしてどうも嫌である。モザンビークでは、同じポルトガル語圏で気候も近いブラジルとの南南農業開発で失敗しているだけに、この回廊の開発とともに、ザンビアやモザンビークでの銅製錬工場の整備までやってほしいものだ。ザンビアのモノカルチャー経済を助長し、モザンビークの港湾利権に絡むだけのような中国臭がする。これは、非日本的な国際協力というより、新植民地主義のような気がしてならない。

追記:昨日久しぶりに学院に登校し、1時間だけ授業をした。生徒の顔を見れただけで嬉しいものだ。2学期はアフリカの開発経済学も講じる。このTICADの話題も入れようと思う。

2025年8月21日木曜日

現象学の「認識論の解明」

https://www.etsy.com/jp/listing/776731434/edomundofussru-shu-ci-hua-xiao-xiang-hua
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第12 回目。いよいよフッサール(画像参照)の現象学について。

自然科学の認識は誰にとっても同じ「事実」の認識であるが、人間や社会の認識は、多様な価値観が入ってくるので、事実の認識とは言えず「本質」の認識である。「本質」の認識の領域では、存在を正しく認識する(客観から主観へ)という順序で考えるのは無効で、経験から確信が生じる(主観→客観の確信)というのが現象学の図式である。

その好例として次のような記述があった。かつてのヨーロッパ人は皆キリスト教の世界観を信じていた故に「神が世界を創ったので私は神が存在すると考える。」という独断論が蔓延っていた。「私は生まれたときから親や大人たちに神はいると言われ続けてきたので、神は存在すると考える(確信している)。」というのが正しい、と竹田氏は述べる。

…フッサールの現象学といえば、対象がリンゴの場合の図式が多いのだが、私にはこの例が最も突き刺さった。(万が一、カットリックの学校である学院の授業で現象学を説くことがあっても、この例は絶対使えないが…。笑)

本質領域での認識問題については、全知(真実=真理)が存在するという発想をきっぱりやめることとが、現象学の「認識論の解明」である。「社会とはなにか」という問いは「よい社会とは何か」という問いを含む。よって必ず価値の多様さによって様々な考え方(信念・確信)が出てくる。哲人政治(プラトン)、絶対平等(マルクス主義)、絶対救済(仏教)、道徳的完成の世界(カント)等々。どれかが最も正しいというのではなく、考えの違いを超えて誰もがOKと思える「良い社会」についての共通の合意を取り出せる可能性が、現象学的スタンスにはある。

社会はルールの束によるゲームであり、多様な価値観(人間の自由)が許容される社会は相互承認にもとづく「自由な市民社会」であることは誰もが認めざるを得ない社会的認識である、ということで、現象学のフィールドからプラトンからルソー、ヘーゲルに至るリレーを再認識するカタチで、本書の社会哲学的な内容は一応完結するのだった。

…明日から、学院での授業が再スタートする。実に有意義な本書の書評はここで小休止したい。

2025年8月20日水曜日

追憶のデンバー

ドジャーズが、コロラド・ロッキーズの本拠地・デンバーで4連戦を戦っている。第1戦はサヨナラで大谷選手もベンチで激怒するほどの敗北をきしたが、今日は、大谷選手もHRを打ったし、先発全員安打という猛攻で、11-4で快勝した。(ライトのT・ヘルナンデスも昨日の守備への批判を攻守両面で見事に払拭できて、実に嬉しい。)

デンバーは、サウスダコタへの旅で一泊したことがある。というのも、関空からサンフランシスコに着いてから、ハブ空港のデンバー経由で、翌朝ラピッドシティへ飛ぶという日程だったからである。このころから、宿も決めずに旅するようになった。YMCAなどの安宿を探したが、いい宿が見つからず、結局知り合った日本人旅行客に紹介してもらった安宿に泊まった記憶がある。

デンバーには、無料の循環バスがあって、お土産屋なども充実しており、なかなか快適な街だった。残念だったのは、ハードロック・カフェ・デンバー(画像参照)が新規開店直前だったこと。

さて、翌朝大失態を犯すことになる。サマータイムであることを失念していたのだ。ある大きなホテル前から余裕を持って空港行きのバスに乗ろうとしたのだが、ドアマンに次の便を聞いたところ1時間早いことが判明したのだった。(当然、$1チップを渡した。このチップの価値は大きい。笑)幸い、ラピッドシティの便には間に合った。

デンバー空港は巨大な空港で、三本の並行した滑走路を持っている。それぞれのターミナルは地下鉄で結ばれている。ラピッドシティへは、ユナイテッド航空の小さなプロペラ機で、操縦席まで見える席だった。窓を見ると、3機が同時に離陸していたので、航空ファンとしては貴重な経験をさせてもらった。

いろいろあったけれど、デンバーの印象はなかなか良いのだ。

正しい思想はありうるか?

「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第11 回目。「認識問題」、すなわち普遍的な認識(=正しい思想)はあり得るかという事について。

まずは、ソフィストのゴルギアスの論証。①存在はない。誰も存在を証明できないから。②仮に存在があるとしても、誰も正しく認識できない。③仮に認識があるとしても、言語で表現することはできない。竹田氏がゴルギアス・テーゼと呼ぶこの論証は正しい認識は成立する可能性がないということである。この相対主義・懐疑論は、以後ずっと哲学につきまとい、普遍的な認識を求めるプラトンやアリストテレス、デカルト、カントやヘーゲルと言ったビッグネームの哲学者たちを苦しめ、現代哲学まで継続している。

竹田氏は、簡潔にその思考のリレーを記している。カントは、先天的認識形式を提示したが、同時に神の全知でなければ物自体をの世界を正しく(=あるがままに)認識できないとし、ゴルギアス・テーゼを半分だけ認めた。ヘーゲルは、「概念の連動」(時間の経験の中で認識は変化していくという弁証法の要諦:幼児、子供、大人と成長するに従って、対象は多くの概念の束として認識されていく)を提示したが、最終的にゴルギアス・テーゼの構図を破壊できず、絶対精神=世界という認識論で終わっている。

ニーチェの認識論は、革命的である。それまでの絶対の前提だった「主観と客観の一致」(=存在と認識の一致)を打ち壊した。当然前述のカントの神の全知を否定したので、真理(絶対的な認識)も存在しない。それどころか認識は「力への意思」、すなわち生き物の「生の力」が世界のありようを分節する、と説く。

いろんな生き物が自分の身体性に応じて世界のありようを分節している。ダニは、光覚と温覚、嗅覚という3つの感覚しかないそうで、ダニの身体性(感覚と欲望)にあわせて世界を認識しているという。このニーチェの認識論は、相対主義の後ろ盾のように解釈されているが、竹田氏はこれを一蹴する。ものごとは様々な観点の取り方で様々に変化すると言った場合、暗に世界は一つを前提にしているからである。ニーチェのこの画期的な認識論の転換が、フッサールの現象学に繋がっていく。

…ところで、この内容の最初に、次のような文章が出てくる。「多くの若者は、ほぼ例外なく、自分がたまたまはじめに出会った世界思想に強く引かれて、それをどこまでも信じ続ける傾向がある。」思わす笑みをこぼしてしまった。私にとっては、高校時代に呼んだ梅原猛の「哲学の復興」がその最初に出会った世界思想にあたる。この新書には、デカルトの二元論批判と、西洋哲学に対する仏教思想の優位が説かれていたからである。前回、円融の三諦という実体論について、わざわざエントリーしたのは、こういう私の思想遍歴に由来していると言えようか。

2025年8月19日火曜日

続・仏教哲学は所詮 物語か?

https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/okyou-houbenpon.html
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第10 回目。昨日の書評で仏教哲学については、本書ではほとんど顧みられなかった。まあ、主題ではないので当然であるが…。

…たしかに法華経は宗教の経典であり、本書で言われる「物語」であるということは否定しない。だが、本書が「物語」だ、と切り捨てた一神教とは趣が違う。初期仏教で最重要の教義は「縁起」(えんき:全てのものには原因と結果がある。)ということであり、一神教では、こういう原因と結果はすべて神に帰していることと比較し、その相違を強く主張しておきたい。

…昨日のエントリーの最後に、円融の三諦のことを私は記した。これは、法華経方便品第二(画像参照)に記されている諸法実相から導かれた「実体論」であると私は考えている。円融の三諦とは、空仮中の三諦とも言われる。高校生にもわかるように述べれば、空諦とは諸法実相の如是性から導かれる、精神(ギリシア哲学的には魂)は、有るというのでもなく無い、というのでもない概念である「空」であるということ。固定的な実体を持たないともいえる。仮諦は、同じく如是相から導かれる、肉体や物体が時間的(諸行無常)・空間的(諸法無我)に変化するので、仮に生じ存在し、また消滅していくということ。中諦とは、精神と肉体が合わさり、どちらにもとらわれず存在していることだ、といえる。

…西洋哲学では、有と無のみの存在論である。また変化する現実と実体(本当に存在するもの)については、ギリシア哲学におけるヘラクレイトスとパルメニデスの問い以来、変化と実体の関係は問題にされてきたが最終的にデモクリトスのアトムに帰結する。結局のところ、有と無の実体論であるわけだ。私は円融の三諦の実体論のほうが、はるかに(一神教の原理主義者を除いて)万人の理解を得れると思う。

2025年8月18日月曜日

対パドレス三連戦 スイープ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250818/k10014896621000.html
ドジャーズが、エンゼルスに三連敗して首位陥落した後のパドレス戦。なんとスイープ(三連勝)したのだった。死球合戦やあわや乱闘のような荒れた前回の対戦から、今回は穏やかな三連戦であった。

今回は、ドジャーズにとっては全員野球の勝利だったと思う。3人の先発投手もブルペン投手も、このところ不振だったり守備でミスをしたりして批判された野手も、もちろんMVPトリオも…。

中でも昨日の第二試合では、ピンチを救ったスミスの三捕殺が凄かった。攻撃では四球が重なり、ヒット1本で5点取ったという珍試合でもあった。

今日の第三試合では、ダルビッシュが先発。1回に大谷選手がヒットを打った後、ベッツが四球、そこでフリーマンが3ラン、さらにパヘスがソロHRで4点も先攻した。ダルには、敵とはいえ負け投手にはなってほしくないなと思っていたが、その後パドレスも同点に追いつき、負けが消えた。(これはメデタイ。)最後は、ベッツのHRで決着がついた。コツコツと不振を払拭していたが、久しぶりにスーパースターらしい華々しい活躍だった。

これで、逆に2ゲーム差がついた。この後ドジャーズはロッキーズ4連戦、パドレスはジャイアンツ4連戦。その後にもう一度対戦する。これがナ・リーグ西地区の天王山になりそうだ。いよいよ、大谷選手も遠慮せずHR量産してほしいところだ。

仏教哲学は所詮 物語か?

「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第9 回目。哲学は宗教の後に出てきた世界説明で、普遍的な世界説明(万人が納得できるような説明)という点が重要であるのだが、宗教は「物語」であり音楽に似ており、人間の心情に強く訴える力を持っているとしたうえで、竹田氏と苫野氏は少しインドの仏教哲学について触れている。

膨大な理論と歴史をもつ仏教哲学だが、竹田氏は「原理」の方法はあまり発展しなかった。その理由は宗教の要素つまり「物語」(輪廻・業・解脱といった宗教的世界観)が大きな前提になっている故だとする。仏教哲学の根本動機は人間の救済や解脱であり、世界の正しい認識ではないとしている。

苫野氏は、意外に仏教哲学に親近感を抱いているようで、初期仏教の諸行無常・諸法無我の法印のあらゆるものには実体はないとするシンプルさには説得力があるとし、天台の「一念三千」や華厳の「事事無疑法界」という壮大に積み上げられたある種の形而上学的理説世界観には感銘を受けている。ただ、どの説が正しいかは、ほとんど好みの問題になってしまう。(天台が勝利した)教相判釈(南三北七と言われた当時の中国各教派が論争した)は、諸説乱立として理解しているそうだ。よって、原理のリレーというよりは、種々の形而上学的=宗教的世界像の打ち出し合いという印象であるとのこと。

…仏教哲学は、私の専門と言ってもよいので、少し違和感を感じた。西洋哲学の立場から見るとそうなるのだろうが、もう少し、龍樹の中論(後に竹田氏はまじめな相対主義と評しているのだが)、世親の唯識、馬鳴の如来蔵と続く大乗哲学について語ってほしかったところ。教相判釈でチャンピオンとなった法華経から、円融の三諦、一念三千論が導かれてくるわけで…。本書の本題ではないから当然ではあるが、少し残念。

2025年8月17日日曜日

ルソーからヘーゲルへのリレー

https://keu-blog.com/he-geru/
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第8回目。ルソーの社会契約説をヘーゲルは批判し、近代民主主義社会の原理を最終的に確立した、ということ。

ヘーゲルの時代は、イギリスの初期資本主義のひどい矛盾が露呈した時代で、単に契約によって自由を認め合うだけではだめだ、というわけだ。近代国家は、自由競争が生み出す大きな貧富の差を調整するような役割を果たさないと行けない。ここで、前述(8月13日付ブログ参照)の「人倫」が登場する。人倫における国家において「一般福祉」(万人が福祉を得られるように配慮する原理)を付与することになる。

…「人倫」の概念は高校生にはかなり難解だと思われる。人倫というのは、法・道徳を統合した概念(社会全体の倫理的な枠組み)であり、その体系は家族・市民社会・国家と弁証法的に発展するとしたもの。今回のキーワードである「一般福祉」の概念は、利害の対立する市民社会から国家へと止揚される中で生まれている。

…カントの道徳が個人的内面的な自律的な行為による自由であるのに対し、ヘーゲルの人倫は社会制度や慣習の中で実現する自由を重視したものといえる。

近代民主主義社会の根本原理は、「自由の相互承認」であり、法=権力の正当性の原理は「一般意志」である。一般意志を目指し続ける国家は、同時に「一般福祉」すなわち全ての人の自由、福祉、よき生の実現を目指し続ける国家であり、そのような国家でなければ正当性を持ち得ない。

…これが、本書の前半部の重要な結論といえるわけだ。

2025年8月16日土曜日

ホッブズとルソーのリレー

https://christiancommons.or.jp/jean-jacques-rousseau-on-jews/
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第7回目。哲学や思想は、現実を動かす可能性の原理でなければ意味がない、ということについて。

プラトンは、『ゴルギアス』の中でカリクレスという人物を登場させて、この上記の「現実の論理」を体現させている。ヘーゲルは、これを「現実の法則」と呼んでいるが、同じく「自由の相互承認」を哲学原理として受け入れている。ホッブズ、ルソー、ヘーゲルとリレーされた社会原理は200年くらいかかって、近代社会を作り上げ、歴史を変えたといえる。現実に対抗し、現実を動かす原理を持った哲学と、理想や希望だけで原理を持たない哲学がある。哲学を原理の学として理解しない人は、まさしくこの区別をつけることができないと、竹田氏は断言する。

ここから、ホッブズとルソー(本日の画像参照)について述べられている。ホッブズは「不信」(竹田氏によると相互不安)によって、戦争から逃れられなくなった、とする。すると、戦争阻止の原理は、この相互不安を抑えることになる。よって、強力な統治、強力な国家の成立が根本原理となる。これが近代社会の設計図の出発点になっているわけだ。

ルソーの「一般意志」は、法や権力はどうあれば良いのか、その道標、灯台になる原理である。みんなの利益になる合意を目指す以外に法や権力の正当性はどこにるのかと問うても代案は出せまい。この原理を手放したら権力者や金持ちの特殊意思が好き放題をするに違いない。ルソーはホッブズの考えに賛成ではなかった。ルソーは統治やルールは大嫌いである。しかし、『社会契約論』では、ホッブズの統治の必要性を受け入れ、統治権力を維持し、かつ人々が自由になるような原理として、社会契約と一般意志を提示した。

マルクス主義や現代思想では、国家は人間支配の根源で、解体することで支配がなくなるという考えが根強くあった。しかしアラブの春後の中東諸国を始め、歴史的にもいたるところで統治権力なしにそもそも社会が存在しない反国家、反権力は哲学的には素朴な誤りで、ヘーゲルの言い方だと「表象の誤謬」。ルソーの見出した、暴力を制圧する正当な国家や権力をいかに創るかが重要だといえるわけである。

…社会契約論は、倫理でも政治経済でも登場する。ホッブズ・ロック・ルソーの三者を対比しながら教えるのだが、本書の示唆はすばらしい。その根幹を近代社会論をもとに見事に描いてくれている。ここで、ふと「憲法」について思索することになった。アメリカの憲法は、ジェファーソンが権力の制限を意識して作ったことは有名である。日本国憲法もその延長線上にある。まさに、本日のテーマである「現実を動かす可能性の原理でなければ意味がない。」という意味では、ルソーの功績は極めて大きい。

…ところで、ルソーは偉大な哲学者かもしれないが、人間としては問題がある。教育論・エミールは超有名だが、自分の私生児を認知していない。こういう功績と人間性にギャップがある例は多く、ギャンブル狂だったドストエフスキーや、傲慢そのものだったトルストイ、さらには借金踏み倒しの野口英世などが挙げられる。まあ、ニーチェも、かな…。

2025年8月15日金曜日

対エンゼルス三連戦 なおド…

https://news.yahoo.co.jp/articles/068fee0977e7347889b35a3e7f8a7834d62b373a/images/000
ドジャーズが、エンゼルス三連戦で全敗してしまった。第一戦は期待の山本由伸投手だったが、7-4。第二戦は7-6。そして第三戦は大谷投手が先発しながら6-5。大谷選手は第一、第二試合ともHRを打ったし、第三では、先頭で三塁打も放って頑張っていたのだが、まさに「なおド…」という表現がしっくりくる。

このところ、ハムショー氏のラジオ的実況を最初から最後まで聞いているのだが、ハラハラ・ドキドキの大接戦だった。

特に第三試合のWBC以来の、大谷投手とトラウトの兄貴との対決は感動的だった。ギアを上げまくり剛速球のストレートを投げ込み、最後は変化球で2三振に仕留めた。大谷ファンとしては、試合結果も極めて重要なのだが、連続のHRやトラウトとの対決に満足した。やはり彼はスーパースターなのである。

意外にエンゼルスの選手の頑張りも目立った三連戦であった。第三試合では、オホッピー捕手が満塁でタイムリーを放ち逆転された。ところで、オホッピー(O'Hoppe)という名前は、バリバリのアイルランド系の名前で、「~の息子」の意味。ちなみに、Mc~も同じ意味で同じゲール語から来ているので、スコットランド系にもある名前。イングランドでは~sonである。NY州の出身だし、彼はアイリッシュに間違いない。

明日から、首位を奪われたパドレス戦。敗戦を引きずらず、背水の陣でドジャーズには頑張ってほしいものだ。

2025年8月14日木曜日

プラトンから一気にヘーゲルへ

「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第6回目。

プラトンの「善のイデア」(よく生きること)から、一気にヘーゲルに進む苫野氏の言が、私を驚愕に導いた。もちろん、師である竹田氏の論の内容である。ヘーゲルの言う「人間的欲望の本質は自由である。」とは、人間は、誰もが「自由」に、つまり生きたいように生きたいと欲望してしまう、だからこそ、その「自由」をめぐって争ったり、無様にあがいたりする。ヘーゲルは、「自由の相互承認」を説き、自由を好き放題に主張していても、決して自由になることはできず、他者と争いになる、ひどい場合は戦争になる。よって、もし自由で平和に生きたいのであれば、まず互いの自由を認め合う約束をするしかない。苫野氏は、この近代民主主義社会の根本原理であり、2500年におよぶ哲学史における叡智中の叡智だと考えている、と。

…ヘーゲルは近代哲学の完成者だと高校の倫理では教える。前述の「西洋哲学の木」では、カントの実践理性→フィヒテの絶対的自我→シェリングの絶対者→ヘーゲルの絶対精神というドイツ観念論の流れの中でまず教えてきた。絶対精神は、弁証法的に歴史を動かす、その本質は理性であるというのが一般的であるのだが、理性の狡知として、自由を拡大する歴史(1人だけ自由な専制政治から、複数が自由な貴族政治、ナポレオンの功績としてもっと多くが自由になる近代市民社会といった構造)などにも触れる。

…本書を読んで、今までヘーゲルは難解で高校生に理解が難しいという前提で浅く教えてきたことを恥じる次第。もし倫理をまた教える機会があれば、この「人間的欲望の本質は自由である。」と、絶対精神の関連性、理性の狡知、さらに人倫へとヘーゲルの近代市民社会への箴言についても語ることになるだろう。

第1走者はプラトン

https://ja.namu.wiki/w/
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第5回目。

現代社会では、「良い社会」とは、「良い経済」とは、「良い福祉」とは何かといった問いが大事になっているのだが、この問題は、相対主義のポストモダン思想や科学的実証主義の方法では問う方法がない。価値の問題を扱うことができるのは「本質学」の方法が必要だ、その理由は、意外にもフッサール・ニーチェ・ハイデガー・ウィトゲンシュタインらの極めて本質的な原理が、現在の哲学者にほとんど理解されていないと竹田氏は嘆く。最大の理由は、普遍的な認識などありえないという相対主義哲学の勢いが強く、民主主義と資本主義は表裏一体で切り離せない、よって矛盾の大きい資本主義をやめればいい。すなわち「大きな物語は終わった」というイメージの思考に流されたというわけだ。

…私自身は、フーコーやドゥルーズ、デリダなどのポストモダン思想は実に興味深いと考えているし、倫理の授業でも必ず講じる。上記の「物語」という表現は、まさにフーコーのもの。ドゥルーズの社会のコード論も納得できるし、デリダの差延も脱構築も納得できる。ただ、竹田・苫野両氏の言う「本質学」ではなく、相対主義であるのは指摘通りであると、私も思う。

本質学としての哲学の根本、リレーの第1走者は、プラトンだと、竹田氏は言う。苫野氏は、この言を受けて、次のように述べる。プラトンは、イデアのイデアは「善のイデア」だと言った。「真のイデア」ではない。人は確かに真善美を求めるが、圧倒的に善を求める。ここで言われる善は、必ずしも道徳的な正しさではなく、ソクラテスの言っていた「よく生きる」で、人生をよりよく生きたいと誰もが思っている、という善への希求を根底に持ちつつ世界を見、生きてるのだと。

…このプラトンの善のイデアが第1走者であるという趣旨には、少し驚いた。私の倫理の授業では、「よく生きる」という人類の教師・ソクラテスの原理は、四元徳として展開している。イデア論は、神秘的(目に見えない)なアルケーとして、理解してきた。ピタゴラスからプラトンのイデア、そしてアリストテレスの形相へと繋がるという一般論に従ってきたからである。今更ながら驚きをかくせない。

…昔々の話になるが、母校での教育実習の時、指導教員をしていただいたO先生(哲学科出身でハイデガーの徒である。)から、(採用試験に合格するなど一切思われていないので)翌年非常勤講師として呼ぶから、一緒にギリシア哲学を勉強しようと言われていたのだが、青天の霹靂で採用が決まり実現することはなかった。ギリシア語を学びながら本格的にやると言われていたので、言語が苦手な私はホッとしたのだが、今から思うと勿体ない話だったような気もする。

2025年8月13日水曜日

市民社会の原理のリレー

https://ja.namu.wiki/w/30
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第4回目。竹田青嗣氏の近代哲学の意義についての考え方は、実に示唆に富んでいる。

中世のキリスト教神学では、カトリックとプロテスタントの分裂が起こると、「物語」の対立故に解決の道はどこにもなく、激しい宗教戦争(画像は三十年戦争)になった。そこで近代哲学が新しい世界説明を出すことでこの深刻な対立を克服した。

宗教的教義の対立ではどちらが正しいのかという答えは決して出ない。この対立を超えて多様な人間が共存できる唯一の原理は、それぞれが互いに相手の信仰を承認し合う「相互承認」に基づく「市民社会」だけである。信仰は人間の内的な属性の1つになり、市民として互いに認め合うという市民社会のの原理は、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルらによってリレーされ鍛え上げられていった。これが現在の民主主義社会の根本設計図である、といえる。

…このロックに始まりヘーゲルに至るリレーという発想は、実に興味深い。私の倫理の授業では、社会とのコンフリクト(社会について考えた哲学)の系譜になる。詳細は後日の書評にゆずるが、最終到達点はヘーゲルの「人倫」にくると想像できる。

また近代哲学は、キリスト教という巨大な世界像が崩壊した後、完全に新しい仕方で人間の存在理由やその価値と意味について考え直した。人間の自己理解という点でも大きな仕事を果たしている。

…ここでは、認識論とニーチェが重要かと思う。こっちは、私の倫理の授業では、自己自身とのコンフリクト(生き方について考えた哲学)の系譜になる。ちなみに、もうひとつ、ギリシアのミレトス学派などの自然とのコンフリクトがあるのだが、こちらは事実学である自然科学に発展解消したといえる。

ところが20世紀に入って、哲学の根本方法、物語ではなく普遍的な仕方で人間と社会を考えるという方法が忘れ去られてしまった。近代市民社会の自由を開放した社会原理は、その後の国民国家どうしの闘争状態の結果、植民地争奪戦争を経て、世界戦争というカタストロフィー(破局点)にまで行き着いた。これを強く批判したのがマルクス主義とポストモダン思想と言える。

…これは、後に竹田氏も記しているように、両者とも相対主義的なスタンスが強く、普遍性を求める近代哲学のアプローチの否定になっている。ただ、その魅力と衝撃は大きすぎたと私も思う。

2025年8月12日火曜日

哲学の「原理のリレー」

https://www.ac-illust.com/main/
search_result.php?word
「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第3回目。

まず、哲学の考え方の2つの本質について。哲学は、まず「原理」の学であること。いろんな問題について、誰が考えてもそう答えるしかない、という答えを探す思考であり、その答えを「原理」と言う。この「原理」は絶えず人々の検証に開かれている。

…西洋哲学におけるこの「原理」の学の好例は、デカルト(画像参照)の第1証明から第3証明かなと思う。第1証明の方法的懐疑・「我思う、ゆえに我あり」で思惟する自我の存在は、誰が考えても納得せざるを得ない。第2証明の神の存在証明は、かなり無理のある論理であるが、論理的破綻は見られない。ただし、キリスト教的伝統のない日本の高校の倫理の授業で語ると、なかなか理解しにくいところがある。第3証明に至っては、神の存在証明を受けての、物体の存在証明であるが、「神は欺瞞者ではないので、理性(思惟する自我)が明晰判明に理解するところは真である。」といわれても、同様に神=全知全能の創造者という前提が理解されていないので、これまた生徒に理解してもらうには苦労する。もちろん論理的破綻はない。(笑)

哲学のもう一つの本質は、「原理のリレー」として成立することである。

…私が倫理の授業で使う「西洋哲学の木」も、この原理のリレーを重視してきた。デカルトの話を続けると、スピノザが汎神論という原理を提示してくる。このような哲学者のリレーが西洋哲学の木を構成しているのである。

竹田青嗣氏は、この2つの哲学の考え方の原則が、20世紀に入ってから、マルクス主義やポストモダン思想によって、殆ど消えてしまった、と嘆くのである。…つづく。

2025年8月11日月曜日

「伝授!哲学の極意」書評Ⅱ

いろいろあって、長い間書評が書けなかった「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)について記していこうと思う。もしよろしかったら、まず6月19日付の「「伝授!哲学の極意」書評Ⅰ」を再読いただければと思う。

この一冊は、高校倫理の先生方に是非とも一読をオススメしたい新書である。(学院でも当然オススメした。)と、いうのも、私がこれまで倫理の授業で、「西洋哲学の木」として示してきた一般的な流れを超克する構造を提起しているからである。
西洋哲学の木では、ヘレニズム(ギリシア哲学)とヘブライズム(キリスト教)が木の根っこに示される。哲学の起源はたしかにこの2つの流れであり、正しいといえるのだが、6月19日付で示したキリスト教の「物語」の共同体的世界観(宗教改革で凄惨な戦いが生じたこと、あるいはイスラム共同体との世界観のぶつかり合い)を克服するために哲学が生まれたとする本書の発想は、実に示唆に富んでいるからである。

…昨日、帰国中の息子と竹田青嗣氏と苫野一徳氏について少し話したのだが、後期博士課程まで進んだ息子の評価もなかなか高かった。というわけで、明日から当分書評を書いていくつもりである。

2025年8月9日土曜日

PP 近代国家論 国民国家

近代国家論の次の視点は、国民国家である。国民国家は、日本の近代化に於いて最も早く施策されたもので、日本史組に是非確認してもらいたいと思っている。この国民国家化は国民皆兵と同義語である。富国強兵のため廃藩置県を強行した西郷やその背後にいた勝海舟と、戊辰戦争を途中で抜けヨーロッパの軍隊を視察して国民皆兵の重要性を認識して帰国した山縣有朋についてはイラスト・名前なしで示した。見栄えもそうだが、授業では日本史組に質問したいところ。山縣はちょっと難しいかもしれない。

この国民国家=国民皆兵は今も徴兵制に繋がっている。徴兵制を今も継続している地図を見せたうえで各国の事情(特にスイスやスウェーデン、フィンランドなどの、中立国の立場とロシアとの関係性)についても伝えたいと考えている。スウェーデン、フィンランドのNATO加盟にも関係してくるからである。

国民国家化を阻止した黒歴史は、ベルギーの恣意的民族分断(ツチとフツ)やフランスの少数派優遇などがある。こういう現在裕福で力を持っているヨーロッパの黒歴史という事実は生徒に伝えておきたい。ちなみに、ルワンダの虐殺については、映画のポスターのみで陰惨な画像は使わなかった。

国民国家と民族の関係、ヨーロッパの引いた国境の無意味さを見事に表しているアフリカの地図を発見した。世界史組には、この国境線引きを決めた会議の名を質問してベルリン会議という回答を引き出したい。これはおそらく大丈夫だと思う。

国民国家の最後は、多民族国家のアメリカ・カナダ・オーストラリアの移民帰化時の「宣誓」を英文で紹介したPPも作っておいた。この三カ国の宣言の違いも興味深いと思う。

…地理総合(空間的把握)という科目の中で、世界史、日本史、政治・経済のコアな部分を語りながら、国民国家とは何かを語れればと思う。

2025年8月8日金曜日

PP 近代国家論 民主主義

パワーポイントの作成を続けている。「4つの罠」から「近代国家論」へ。世界史的にはウェストファリア条約以降の近代国家=領域国民国家であるので世界史組に確認した後、近代国家=民主主義・資本主義・国民国家の三要素と目されるようになったので、まずは民主主義のPPの作成過程である。
政治・経済とかなり重なる分野であるので、チャーチルの箴言とともに民主主義が絶対的ではないことも伝えたい。同時に民主主義指数という地図も見せて、やはりHDIとの関連が強いこと、劣悪なガバナスの罠とも関連しても示したい。さらに前述のアフリカのHDIの優等生、モーリシャスとボツワナの紹介もPPにした。
イスラム諸国と民主主義についても、1学期後半の学習を踏まえて解説してみた。イスラムにおける個人主義と集団主義の対比も最初想定していたのだが、イスラムの専門家の息子に聞いてみたら、超個人主義であるとの回答なので割愛した。地縁血縁は強そうなのだが、他者の信仰に口出ししないことや、特定のモスクや聖職者がいないことなどの方が重要な資質だとのこと。どこに視点を置くかで、分析が変化する。難しいところである。

2025年8月7日木曜日

対カージナルス三連戦を終えて

https://news.ntv.co.jp/category/sports/d4ef15ea80bf47759714b4df7d0ef6d5
ドジャーズ対カージナルスは、ちょっと特別だ。カージナルスにはWBCの同志・ヌートバーがいるからである。しかも今回はLAでの対戦。彼はCA州出身で凱旋でもある。

第1戦は、最終回に不調だったベッツの二塁打性の打球を超ファインプレーで取り、まさにヌートバーにやられたという試合だった。WBCの日本代表への猛アピールだった。

第2戦は、ドジャーズの逆襲。不調だったベッツが何本も快打を放ち大復活。怪我から復帰したマンシーもTヘルナンデスもそれぞれ2HR。フリーマンも犠牲フライを打ちまくった。大谷選手も激走、打点をかせぎ、チーム貢献。

第3戦は、大谷投手が4回まで登板。味方のエラーから1失点した直後、自ら失点を取り返す久々の39号HR(同時にMLB・1000安打達成)。カージナルスベンチも監督も含めてスタンディングで拍手したという。投手としても4回で8奪三振。ヌートバーを2三振させた。友情と勝負は別。ただ、後半、ヌートバーの二塁打タイムリーもあってドジャーズは逆転された。第3試合も、打撃面でWBCへの猛アピールになったと思う。ヌートバー、今回も是非WBC日本代表に選ばれてほしい。

この三連戦でも、大谷選手にまつわるイイ話があった。大谷選手の打ったライトのファウル打球がドジャーズの警備員さんの右肩に当たり、悶絶して倒れたのである。この警備員氏、高校時代投手で期待されていたのだが怪我で野球を諦めた人。野球愛が募りドジャーズの警備員となっていた人。試合後、医務室に大谷選手が現れ、サインボールとユニフォームをプレゼントした話がいい。その子供さんも野球をしているという。今のアーロン・ジャッジがジーターにサインボールをもらってから覚醒したように、その子供も大きな希望をもらったにちがいない。何の躊躇もなく、こういう行動を取れる大谷選手に日本人の至高の姿を見る。

この日本人的(気遣いの)行為が、バットボーイにも影響しているようだ。投手で1番打者である大谷選手は、その気持ちの切替も大変なのだが、最近の打者のプロテクターの装着も大変だ。このところ、バッドボーイ君は、マウンドを降りてきた大谷投手のために、ヘルメットやバット、プロテクターなどをベンチの前に揃えてくれているという。きっと今日の登板でもそういう行為が行われていたはずだ。アメリカ社会に、こういった日本的な気遣いが浸透し、理解されていっていることが、実に嬉しい。

PP 4つの罠(後半)

「HDIと4つの罠」のPPの作成経過の後半。内陸国の罠については、ウガンダとスイスという対極的な内陸国の姿を中心にスピルオーバーの相違を示してみた。(ルワンダについては微妙なので✗はつけていない。笑)

さて、劣悪なガバナンスの罠。ガバナンスという語彙を高校生に理解させるのは難しい。具体的な内容と劣悪なガバナンスのデメリットを示してみた。

H高校では運動部の男子が多かったし、デモクレージーをワークショップ的に理解させてきた。しかし、学院は元女子校だし、男子もやさしい生徒が多いので、デモクレイジーの「悪意」を連想させるのは実に難しい。そこで、PPで構造的に解説することにした。

…1枚1枚、考えに考えてPPを構成するのは時間はかかるが、楽しい。以外にいい出来だなと思うのが、デモクレイジーの基盤ともなる情の経済のPP。

2025年8月6日水曜日

PP 4つの罠(前半)

教材研究は、プリントを仕上げつつ、パワーポイントを作成していくのであるが、本日はまず「HDIと4つの罠」のPPの作成経過を画像中心に記しておきたい。

紛争の罠については、最新の紛争地図を示した後。予備知識としてのアラブの春、さらにシリア内戦の現在まで。アフガニスタンとパキスタンの紛争。さらにイエメンの紛争。イスラム復古主義の武装勢力の解説で、最後はソマリア内戦へと続く。

天然資源の罠については、アフリカの天然資源地図や国債石油価格の変動と他の鉱産資源価格について、さらにコンゴ民主共和国の周辺とタンタルなどの「紛争鉱物」について。

今回苦労したのが、後の劣悪なガバナンスの罠に繋げる「天然資源の利益(レント)の行方」である。全体的に見ると、多くが外資の鉱山会社に流れ、政権の有力者と反政府武装組織などに流れていくといえる。一方、ノルウェーやサウジは政府系ファンドで投資し、更に利益を得るという違いを画像化してみた。最後にオランダ病についても作成した。

…政治・経済分野にもアプローチしながら、わかりやすいPP作成を心がけているのだが、(高校時代)デザイン科出身としてはついつい凝ってしまうのであった。

2025年8月5日火曜日

YouTube 単一民族国家

https://navymule9.sakura.ne.jp/Monoethnicity.html
今回の教材研究では、単一民族国家という概念は、「近代国家における国民国家」の中でも日本の状況以外ふれないことにした。OECDのマジョリティな民族が95%以上という一応の定義があるのだが民族の問題はかなり複雑だし、様々なデータの信憑性の問題もあるからである。

同様の懸念を持ちつつも、AIを使って単一民族国家についてのYouTubeを偶然見つけた。このチャンネル、慶応出身の元教員で、公立高校の教員では本当の世界史を教えれないと予備校の教師をしている人物による世界史解体新書。豊富な知識に裏付けられた内容だったし、共感できる部分も多い。

https://www.youtube.com/watch?v=SE_xT3Gq9uc&t=1340s

見ていただくのが一番なのだが、一応のAIによるランキングでは、北朝鮮・モルディブ・韓国・日本・レソト・アルメニア・バングラディシュ・ポーランド・アイスランド・チェコとなっていた。かなり微妙だが、モルディブが100%なのは、外国人労働者に市民権を与えない施策によるものだし、レソトは、歴史的な経過と共に、出稼ぎする者はいても入ってくる者はいないという事情があったりする。

上記画像は、このYouTubeとは全く違う単一民族国家に関するWEBページから拾ってきた。こちらは、アラブ人をそれぞれの国家の中で単一民族として取り扱っていると思われる。うーん、実に難しい問題である。やはり教えるのは控えるのが賢明。

2025年8月4日月曜日

教材研究 近代国家論/国民国家

https://blog.goo.ne.jp/reachoutschoolofenglish/e/3fafdbf36d00bb9e52696e958edbc67a
猛暑の日々が続いている。引き続き自宅にこもって教材研究の日々を送っている。本日のテーマは、国民国家である。民族や氏族を超えて、自分はこの国の国民であるという意識が国民国家であるわけだ。本年度の地理総合は、他の社会科目との関連を重視しているので、まずは日本の近代化から話を進めることにした。

日本近代史の最初の大ポイントは廃藩置県と学制だと私は考えている。薩摩や長州、水戸や会津といった藩中心の所属意識を変革したのだが、この裏面史は、富国強兵のため、学制による国民皆兵への準備である。「ハト・マメ・マス」という小学校1年生の国語の教科書は、東北地方の方言矯正を目的として書かれている。単なる方言矯正ではなく、軍での伝達をスムーズにする意図がある。当時の世界は、戦争行為は政治の延長であり、「権利」と考えられていた。傭兵から国民皆兵への変革は当時の列強の常識となっており、日本もそれにのったわけで、このことを単純に批判すべきではないと私は考えている。

現在も国民皆兵=徴兵制を取る国は64カ国ある。男女とも徴兵というのは5カ国。イスラエル、エリトリア、北朝鮮、そしてノルウェーとスウェーデンである。この2カ国に加えHDI上位国のスイス、デンマーク、フィンランドも徴兵制を取っている。このあたりは各国の歴史的背景があるので、授業では簡単に触れておこうかと思う。BRICSでは、ブラジル、ロシア、中国の3カ国。ASEANでは、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、カンボジア、ミャンマー、ラオス。さらに韓国やトルコ、メキシコもである。

反対に軍隊を保有しない国もある。太平洋やカリブ海の島嶼国や、バチカン、リヒテンシュタインなどのミニ国家が多い。コスタリカの憲法に「恒久制度としての軍隊廃止」とあるのは有名だが、実際には隣国ニカラグア国軍の3倍の予算をもつ警察=公安部隊がある。NATO加盟国ながら常備軍がないのはアイスランド。(米軍も撤退したままである。)国民国家=国民皆兵という視点では、こういった問題にふれることになる。

次に多民族国家と国民国家というテーマで語るつもりである。多民族国家とは、一般にはマジョリティの民族以外の少数民族が5%を超える国家と言われている。この定義だと殆どの国が多民族国家だといえるだろう。特にアフリカ諸国は、列強による国境線に苛まれており、民族やエスニック・グループの帰属意識のほうが強いのは当然である。

ベルギーは、ルワンダとブルンジで、意図的な民族分断政策を取り、ツチとフツに分けた。独立後に大虐殺事件が起こる。国民国家化の真逆だといえる。またフランスは、シリア支配の施策で、同じアラブ人ながら、スンニー派を差し置いて、少数派のアラウィー派のアサド政権をつくった。これも国民国家化の分断例である。

トルコは憲法でトルコ民族国家(=単一民族国家)と謳っているが、国土の1/3にクルド人居住区があり、1500万人/トルコの人口の19%となっている。建国の父:ケマル・パシャを侮辱すると不敬罪に問われる。複雑なところだ。

最後に多民族国家のアメリカ・カナダ・オーストラリアの国民国家について触れておこうと思う。アメリカのグリーン・カード(永住権)や参政権のある市民権について少し解説した後、帰化時に誓うアメリカの「忠誠の誓い」を紹介しようと思う。さらに、カナダ、オーストラリア(学院ではオーストラリアに姉妹校があり短期留学も毎年行われている。)の同様の誓いも紹介したい。一番上がアメリカで和訳を付けた。アメリカでは星条旗の多さに驚かされるが、なかなか荘厳な宣誓である。ちなみに「under God/神の下の」の語は、冷戦下無神論の東陣営を意識してつく加えられたものだとか。学院の生徒は英語が得意な子も多いので、ここからは和訳なしにした。二番目がカナダの「忠誠の誓い」である。カナダの君主(=UKの国王)への忠誠であるところが特徴的である。三番めのオーストラリアは、「国民としての誓い」で、一般的な、オーストラリア社会への順応を意識させるものとなっており、三者三様であるのが面白い。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

I swear that I will be faithful and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth the Second, Queen of Canada, Her Heirs and Successors, and that I will faithfully observe the laws of Canada and fulfil my duties as a Canadian citizen.

I pledge my loyalty to Australia and its people, whose democratic beliefs I share, whose rights and liberties I cherish, and whose laws I will uphold.

2025年8月3日日曜日

教材研究 近代国家論/民主主義

https://japolandball.miraheze.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%8A
教材研究を引き続き進めている。ポール・コリアーの4つの罠で、劣悪なガバナンスの罠が最後であるので、関連性が強い政治体制について話を進めることにした。と、なれば近代国家論になる。近代国家論は、言い換えればウェストファリア条約に期限を持つ領域国民国家論である。「領域」(国土)とアイデンティティが統一された「国民」意識、そして「国家」として独立した主権の三要素を持つわけだ。まあ、made in 欧米の枠組みであるのだが、地理総合としての視点としては有効である。

まずは、主権に関わって、民主主義という観点から 語ることにした。我々日本人がすでに空気のように感じている民主主義は、欧米人が戦って勝ち取ったものであり、自由・平等といった人権や、人の支配を覆して法の支配(法治主義)をほとんど暴力で得たということは確認しておいたほうが良いと思う。自由を享受する基盤にはそういった歴史があるわけだ。チャーチルの民主主義に関する箴言も伝えたい。民主主義は決して絶対的な正義ではなく、他の専制政治や独裁政治よりまだマシな政治制度であること。

さて、この民主主義を世界的に見ると、調査した組織により差はあるが、およそ世界人口の30%くらいの人々がこの政治体制化で暮らしている。当然HDIや腐敗認識指数が少ない上位国となる。

ここで、アフリカの国の中で、民主国家として高い評価を受けている国を紹介したい。セーシェルのガバナンスはいいことは、イコール民主国家であるのだが、あまりおもしろい話はない。ここでは、ボツワナとモーリシャスを選んでみた。

ボツワナは、イギリス植民地時代から、ツワナというエスニック・グループが多数派(79%:南アの方が居住者は多いらしい。)で、そのツワナ人の有力氏族の王位継承者であったセレツェ・カーマを抜きには語れない。彼は南アの寄宿舎の学校・大学で学んだ後、オックスフォード大学に留学する。そこでイギリス人女性と知り合い結婚する。隣国のアパルトヘイト国家・南アは激怒し、国内でも日本で言う皇室典範を無視したことで大問題になる。仲介者のイギリスは困り、ロンドンに呼び戻し、結局王位を捨てるのである。1956年に一市民として帰国し、1962年から自らの氏族中心の政党を組織し、独立運動を開始し、最初の議会選挙で全国政党化し圧勝。1966年の独立と共に初代大統領に就任。翌年、ダイヤモンドの世界的鉱脈が発見され、デビアス社と契約を結ぶが、このレントを、初等教育、医療、インフラなどに振り向け、汚職を許さず政府職員のアフリカ系化をあえて進めず、外国人官僚を使って良好なガバナンスを維持した。天然資源の罠やガバナンスの罠を見事にクリアしたのである。しかもボツワナは内陸国。現在は、デビアズ社と政府が合弁して、ダイヤモンドの研磨や流通にも関わり6次産業化も進んでいる。内陸国の罠については、輸出額の90%を占めるダイヤモンドは、航空貨物によるものであるので、最小限に抑えられている。

モーリシャスは、フランス支配からイギリス支配へと代わったインド洋の島嶼国。サトウキビ・プランテーション地域だったが、奴隷解放時にインド系の人々が移民してきた。現在の多数派(68%:他にアフリカ系と白人のクレオール27%、中華系3%、フランス系2%)となっている。モーリシャスの国民議会は70議席で、62議席分は定数3の選挙区で直接選挙が行われる。面白いのは、「最良の敗者」と呼ばれる残り8議席である。人口比に対し当選者の少なかった政党に配分され、各民族の発言権を確保、民族融和をもたらしている。モーリシャスは、香港などから安価な労働力として縫製の仕事を受けており、安定した経済と雇用状況を維持している。観光業でもかなり利益を挙げている。

…モーリシャスは、小学校高学年が中学の低学年の頃、ある月刊少年誌で特集が組まれていたこともあって深く印象に残った国である。子供ながら4つの肌の色が違う人々が協力して国を盛り上げていることに言いしれぬ感動があった。シンガポールからヨハネスブルグに夜間飛行した際にその灯火を見たが、もう行くこともないだろうなあ、とため息をつくのであった。

2025年8月2日土曜日

教材研究 HDIと4つの罠

https://globalnewsview.org/archives/987494368
教材研究を進めている。HDIのランキングを記す提出課題を元に、次にポール・コリアーの「最底辺の10億人」にある4つの罠(紛争の罠・天然資源の罠・内陸国の罠・劣悪なガバナンスの罠)と対比しながら進めていくことにした。

紛争の罠については最新の世界紛争地図をパワーポイントに示しながら解説しようと思う。ただ、深入りすると莫大な時間を要するのでプリントでは最小限の記述に止めた。紛争の原因は、民族問題、エスニックグループの勢力争いや、特にイスラム復古主義の武装組織などによる宗教対立も多いが、根底には経済格差問題と次に述べる資源の罠による利権も絡んでいることが多い。

…これはあくまで私の感じ方であるが、独立後内戦に陥るのには、少し宗主国の法則性のようなものがあるのではないかと思う。イギリスの間接統治は、独立戦争(インドやケニアのマウマウ団など)以外では、それなりに独立後の移行はうまくいったといえる。フランスの直接同化政策よりはマシだった。ひどいのはポルトガルで、アンゴラもモザンビークも東ティモールも悲惨だったと思う。まあ、こんな話を授業ではしないと思うが…。

天然資源の罠については、いくつかの視点で語る。まずはモノカルチャー経済の危険性。顕著な例はザンビアの銅生産で、国際価格の変化で大きな影響を受けること。2点目は、内戦や腐敗が進むこと。ここでは、特にコンゴ民主共和国を取り囲む国々が関わる、タンタルなどの紛争鉱物について語ることにした。3点目は、植民地時代の影響。途上国の鉱業のレンティアはの多くは搾取されていること。ただ、うまく国策会社に移行した例も挙げておくことにした。サウジやUAE、マレーシアもそうで、ノルウェーのような政府系ファンドで儲けている場合も紹介しておきたい。さらに、政治経済の学習との関連で、オランダ病についても述べることにした。

内陸国の罠については、ジェフリーサックスのスピルオーバー(隣国の経済が1%成長するとその隣国は0.4%成長するが、内陸国は0.7%も成長する。)の論理を使う。高校のレベルを少し超えるが、これもまた私の授業らしいところ。(笑)ウガンダとスイスの状況を比較しておきたい。

劣悪なガバナンスの罠については、まず「ガバナンス」という高校生には聞き慣れない語句の解説から。パワーポイントでは、国際NGO/Transparency Internationalによる世界腐敗認識指数の地図を見せ、次にガバナンスが悪いと、インフラや企業の設備投資の資金が海外から入らない。そのためには、金融面と法的整備が必要であること。しかしながら、デモクレイジー(ポール・コリアーのデモクラシーをもじった造語)が行われ、専制的・独裁的な政府が生まれていること、さらに「情の経済」で血縁・地縁重視の官僚主義が腐敗を高めることを説く。

https://www.afpbb.com/articles/-/2521113
次のプリントでは、世界腐敗認識指数の上位国と下位国の表をつくってみた。またまたこの表にHDIの順位を入れていく作業を入れたいと思っている。面白いのは、下位(腐敗度がひどい)の国は、HDIの順位に近い。南スーダン、ソマリアが最下位2カ国であるのはHDIと同じ。ここに赤道ギニアやエリトリア、トルクメニスタン、タジキスタンといった独裁国家が顔を出してくる。意外なのは、上位国にウルグアイ(13位)とブータン(18位)セーシェル(同18位)といった国が日本(20位)より上位にあることだ。

…ウルグアイは、バスク系のホセ・ムヒカ元大統領(報酬を財団に寄付して月$1000強で生活していた世界一貧しい大統領と呼ばれた人物。)の伝統が生きているようだ。ブータンも文化や価値観から決して意外ではない。セーシェルは、アフリカで、モーリシャスを抑えてHDIの順位が最も高い国。1993年以降、複数政党制をとり、大統領も直接選挙で選ばれるガバナンスも良好である。こういった発見を生徒諸君にもして欲しいな、と思う。

2025年8月1日金曜日

教材研究 HDI理解

8月に入った。教材研究も進めなければと、HDIのランキングの提出課題後の授業プリントを作り出した。まずは、HDIの基礎的な知識を確認。1人あたりのGNI(国民総所得)について、GDP+海外からの所得であること確認。健康や教育の指標が入る理由がアマルティア・センの貧困の定義と潜在能力の話は外せない。

提出課題には、HDIの順位の1位から193位まで記入するようにしてある。まずは、先進国の確認。先進国の定義としては、一応OECDの加盟国というのがあるので、プリントにOECD加盟国を以下のテリトリーにわけて、順位の番号に◯をつけて、確認してもらうことにした。1990年までのEU加盟国、1990年以降のEU加盟国、EU非加盟の欧州諸国(イギリス・スイス・ノルウェー・アイスランド)、その他のOECDに90年代以前加盟国(日本・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・トルコ)、その他のOECDに90年代以後の加盟国(メキシコ・韓国・チリ・イスラエル・コロンビア・コスタリカ)。HDIの上位は当然先進国となるのが一目瞭然である。

プリントには、新たに名目GNIのランキングを、1位アメリカから17位のオランダと、20位スイス・107位アイスランド(HDIでは両国ともかなり上位)、HDI最下位の152位ソマリア・168位南スーダン、アフリカで最もHDI順位の高いセ-シェル、GNI最下位・213位のツバル(最低額のGNI=91✕百万USドル)を表にした。この表では、GNIと人口の対比が重要である。対比してその分母(人口)が多いと1人あたりGNIの数値が下がることを実際の数値を見て確認してもらおうという魂胆である。なお、この表に、ジニ係数も記入しておいた。

この表の右端の欄に、HDIの順位を提出課題から入れ込むので確認しやすいかと思う。また、提出課題の順位の一部を後々重要視したいので太字にしてある。それはアフリカ諸国である。さらに次のプリントでいよいよ、ポール・コリアーの4つの罠の内容に入るので、HDIの161位以下のアフリカ以外の国を書き出す内容も入れた。HDI162位のシリア、166位のハイチ、168位のパキスタン、181位のアフガニスタン、184位のイエメンである。共通しているのは、紛争地域である。(ハイチは、内戦や紛争というカテゴリーに入らないかもしれないが、まるで「北斗の拳」のようなギャングが支配する無政府状態に陥っている。)これは、紛争の罠に関連してのことである。